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  •  大浦居留地の洋館群
    1911年12月31日
    大浦居留地の洋館群

    明治中期の大浦海岸通りに面した商館と領事館の建物が背後から撮影されている。右の道路は石畳舗装され、当時の代表的な交通手段である人力車が止まっている。港には多数の商船や艦艇が停泊し、繁栄していた頃の長崎港の様子を知ることができる。鮮明な、彩色の技術の高さを感じさせる写真である。=明治後期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐1‐0]

    商品コード: 2017082400596

  •  仁和寺を参拝する巡礼の女性たち
    1904年12月31日
    仁和寺を参拝する巡礼の女性たち

    仁和寺金堂に参拝するため石段を登って巡礼にむかう女性たちを、観音堂東側の参道から東を向いて撮影する。 女性たちは草鞋履きで荷物を背負い、大きな編み笠をかぶり、長い杖をついて歩いている。背後に建つ入母屋造の建物は水飲み場であろうか。1904年イギリス人写真家H・G・ポンティングの撮影か。=1904(明治37)年、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐39‐0]

    商品コード: 2017081501808

  •  松島
    1904年12月31日
    松島

    湾内の経ケ島(きょうがしま)付近から松島海岸を眺めた写真で、島の左には桃山建築様式であり、宮城県指定文化財の観瀾亭(かんらんてい)の建物が見える。船は真帆のチャブネである。水面のおだやかさがとても美しい。=1904(明治37)年、松島、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐13‐0]

    商品コード: 2017081501565

  •  日光街道の杉並木
    1904年12月31日
    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐7‐0]

    商品コード: 2017081501610

  •  諏訪山から神戸市街を望む
    1904年12月31日
    諏訪山から神戸市街を望む

    目録番号4949・4950と同様に、アメリカのUnderwood & Underwood が制作したステレオスコープ用の写真。諏訪山から南東を望む。麓の円塔のある建物は、明治26年 (1893) に落成した、英和女学校 (移転前の現神戸女学院) の理化学館。台紙には1904年 (明治37) に同社が版権を取得した旨の記載があるため、その間の撮影。=1904(明治37)年、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐15‐0]

    商品コード: 2017081501784

  •  水前寺公園
    1904年12月31日
    水前寺公園

    熊本の名園として知られる水前寺成趣園を撮影したものである。撮影位置は、酔月亭と呼ばれる建物の跡(明治10年西南戦争で焼失、現在はその跡に古今伝授の間が建つ)からの撮影である。飛び石に日傘をさした女性が並ぶが、お土産写真のための演出であろう。=1904(明治37)年、熊本、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐4‐0]

    商品コード: 2017081401692

  •  日光東照宮陽明門
    1904年12月31日
    日光東照宮陽明門

    画面中央が陽明門。日光東照宮の本殿前境内から陽明門の裏側を写している。画面左端の八乙女が立っている建物は神楽殿。ここで八乙女が神楽を舞う。写真に添えられた英文キャプションには薬師堂の文字が見えるが、この写真からは画面右奥に薬師堂の屋根だけが見える。=1904(明治37)年、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号97‐60‐0]

    商品コード: 2017081401660

  •  内国勧業博覧会会場
    1903年12月31日
    内国勧業博覧会会場

    第5回博覧会では、機械館、参考館、加奈陀館、ジョーン館、台湾館等の建物が特設され、国内ばかりではなく、世界各国の最新の技術・産業が紹介された。=1903(明治36)年、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐75‐0]

    商品コード: 2017080902840

  •  稲佐のロシア人居留地桟橋
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    稲佐のロシア人居留地桟橋

    現在の旭町・旭大橋の進入路の下付近は、浦上村渕庄屋・志賀家の屋敷があり、「志賀の波止」と呼ばれた。左の地先の建物は諸岡マツ経営の料亭ボルガ。その手前の2階建ては、福田家の別邸で、「稲佐お栄」こと道永エイが働くことになるロシアの将校クラブ。さらに手前の大きな屋根は散使の福田家、右は庄屋の志賀家。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐19‐0]

    商品コード: 2017081601032

  •  松の森神社側から本河内を望む
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    松の森神社側から本河内を望む

    左手の松の茂みが松の森神社で、右手の町並みは新大工町である。真ん中の片淵は田んぼだらけでまだ建物がない。ここには、明治15年(1882)年から41年(1908)の間、長崎監獄が建ち、その左手には、明治38年(1905)3月に、長崎高等商業学校(現長崎大学経済学部)が建設される。新大工町右手の伊勢町中島には、上野彦馬邸の蔵と明治5年(1872)頃に建てられた新しい二階建ての白い写場が遠望される。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐6‐0]

    商品コード: 2017081600932

  •  大浦川左岸
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    大浦川左岸

    右の白い壁の建物は下り松41番で後の三栄鉄工所。煉瓦造2階建て、外壁プラスター塗り。貿易雑貨商のゼニオ・W・レエク商会。左の入母屋造、コロニアル洋館は37番のエキスプレス居酒屋。上は妙行寺の本堂と鐘堂である。和船は沖の船との連絡用。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐36‐0]

    商品コード: 2017081600969

  •  小島からの長崎医学校と唐人屋敷
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    小島からの長崎医学校と唐人屋敷

    現在の鶴鳴学園長崎女子高校下の高台あたりから、長崎医学校越しに長崎港を展望している。中央の白い建物群が長崎医学校。文久元年(1861)に小島養生所として創設され、医学校を併設して、慶応元年(1865)に精得館と改称。明治元年(1868)には長崎府医学校と改称。その後明治5年(1872)に第六大学区医学校と名前を変更し、明治7年(1874)には長崎医学校となり、明治24年(1891)浦上に移転した。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐40‐0]

    商品コード: 2017081601053

  •  出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地方面を望む
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    出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地方面を望む

    安政5年(1858)の開国条約締結直後の1862年、長崎を訪問したミルトン・ミラーが撮影した、長崎の最も古い風景写真のなかの1枚。当時出島の南側中央のオランダ商館長邸を訪問したと思われるミラーが、屋敷横の日本庭園から、第二次埋め立てが完了し建物が建ち始めた大浦居留地を遠望している。左の大きな白黒の柱はオランダ国旗の旗竿であり、右には妙行寺(当時イギリスの仮領事館)の屋根が見える。妙行寺横にはまだグラバー邸は見えない。ライデン大学に寄託されているボードウィン・コレクションにも同じ写真が存在する。=1861~62年頃か、長崎、撮影者:ミルトン・ミラー、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号113‐8‐0]

    商品コード: 2017081502341

  •  大阪城
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    大阪城

    大阪城の南側外濠にある六番櫓と三番櫓。大阪城には乾櫓・伏見櫓など多くの櫓があったが、南側外濠には一番から七番までの隅櫓があった。現存は六番と一番だけである。=1872(明治5)年、大阪、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号87‐44‐0]

    商品コード: 2017081400751

  •  飽の浦からの長崎港
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    飽の浦からの長崎港

    稲佐方面、飽の浦からの長崎のパノラマ。オリジナルは四つ切り四枚で構成されている。これはその一枚。中央右の建物は官営の長崎製鉄所。港内には蒸気船が浮かび長崎港の賑わいを示している。オリジナル写真の複写と思われる。=明治5年、長崎、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号15‐34‐0]

    商品コード: 2017080201452

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    堂が島温泉

    堂が島温泉の全景である。左端の建物は大和屋。中央の滝は調べの滝。その左上が五段旅館。滝の右の建物は、東京日本橋の銀行家平松甚四郎氏の別荘で、明治末年の早川の洪水で流失した。現在は対星館となっている。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐9‐0]

    商品コード: 2017080200931

  •  諏訪神社の大鳥居
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    諏訪神社の大鳥居

    長崎の諏訪神社入口の大鳥居。整理番号1-19の写真よりは後の時期の撮影。右手の建物二階部分のヴェランダが目をひく。人物は着飾っている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号8‐12‐0]

    商品コード: 2017080201050

  •  横浜根岸台
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    横浜根岸台

    英語で「根岸、横浜」と記入されている。横浜の背後から根岸に抜ける掘割川の風景である。開削されて日が浅いために、あちこちで土がむきだしになっている。画面中央の大きな建物は工場であろうか。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐2‐0]

    商品コード: 2017080201131

  •  横浜税関
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    横浜税関

    横浜大桟橋の根本部に、明治27年(1894)に建設された。この建物は妻木頼黄により設計されたものである。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号20‐17‐0]

    商品コード: 2017080201708

  •  日光東照宮オランダ灯篭
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    日光東照宮オランダ灯篭

    画面右がオランダ国から贈られた八角形の回転灯籠で、日光東照宮陽明門の手前にある。画面奥の中央にスタンド型の蓮灯籠。画面左の建物は鐘楼で、その手前の屋根のある4本柱に支えられた建物には朝鮮鐘が下げられている筈だが、何故かこの写真ではその鐘が見えない。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐26‐0]

    商品コード: 2017082400145

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    底倉温泉

    底倉温泉は、明治14年に大火で全焼しているので、それ以前の写真である。『箱根七湯の栞』(弘化7年)との比較で、階段の右上が万屋、その右が梅屋、さらに蔦屋で、道を挟んで手前の建物が総湯(共同湯)と分かる。=明治14年以前、箱根、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐38‐0]

    商品コード: 2017080200824

  •  日光東照宮眠猫
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    日光東照宮眠猫

    眠猫(ねむりねこ)は日光東照宮の建物に施された彫刻群の中で、最も有名な作品。作者は左甚五郎(ひだりじんごろう)と伝えられている。眠猫の彫刻は東回廊の、奥社へ続く石段の参道入口にある。眠猫の裏側には雀が遊ぶ彫刻が施されている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号59‐74‐0]

    商品コード: 2017081400669

  •  摩耶山夫人堂
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    摩耶山夫人堂

    摩耶山忉利天上寺。中央の建物は、9世紀初期に弘法大師が唐から持ち帰った摩耶夫人 (まやぶにん) 像を安置した、夫人堂。明治30年 (1897) に神戸で刊行されたガイドブックに同じ写真があり、また、同じ写真をもとに制作したと思われる石版画が明治26年刊のガイドブックに見られるため、明治中期の撮影。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐17‐0]

    商品コード: 2017091301342

  •  甲府の市街地
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    甲府の市街地

    山梨県甲府市所在の甲府城から南側に広がる市街地を撮影した写真。手前に写る洋風の建物群は明治9年(1876)に山梨県令藤村紫朗が甲府城内に設置した勧業試験場のうち、鍛冶曲輪に建設されたブドウ酒醸造に係る建物群であることから、撮影時期は明治初期と考えられる。写真奥には甲府盆地南端の曽根丘陵および御坂山塊が見え、写真左奥には富士山を望む。=撮影年月日不明、甲府、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐46‐0]

    商品コード: 2017081401501

  •  中島川と阿弥陀橋
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    中島川と阿弥陀橋

    中島川は馬町近くで一の瀬川(本流)と堂門川(西山川)に分かれる。川の分岐点から上流に高麗橋、阿弥陀橋がある。写真は中島川に架かる阿弥陀橋で、明治20年代後半(1895頃)の撮影。向かって右岸の建物に「時計工」の字が見え、店の中に時計が並べられている。店の前に水道の共用栓があり、水道敷設後の写真であることが分かる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号106‐40‐0]

    商品コード: 2017081501891

  •  日光東照宮御水舎
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    日光東照宮御水舎

    画面中央の白い建物は元和4(1618)年に鍋島藩が奉納した花崗岩の水盤がある御水舎(おみずや)。自然の川や湧き水ではなく、境内に水盤を置いた手水所(ちょうずどころ)は、この建物が最初と言われている。御水舎の右隣は経典を納める輪蔵(経蔵)である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号80‐38‐0]

    商品コード: 2017081401223

  •  王子滝野川の紅葉
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    王子滝野川の紅葉

    滝野川は飛鳥山の桜に対し、明治期の紅葉の名所。石神井川の末流。中央の橋の上に女性が二人、奥の岸辺に見える建物は紅葉見のためか。左右から紅葉した木々が川面にかかって影を落としている。=撮影年月日不明、東京、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号11‐4‐0]

    商品コード: 2017080201248

  •  横浜本町通り
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    横浜本町通り

    本町通りの1丁目から2丁目を見る。本町通りは開港以来の関内のメイン・ストリートで、このあたりには有力貿易商の店が軒を連ねていた。右手前の蔵造の建物は、2丁目角に建つ平沼商店(石炭屋)で、その奥の洋風建築が田中新七商店。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐80‐0]

    商品コード: 2017080903300

  •  石山寺
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    石山寺

    石山寺(いしやまでら)境内で撮影したもの。平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の第13番札所として庶民の信仰をあつめた。奥に見える建物は、本堂と蓮如堂。画面には、寺名の由来であるごつごつとした岩山(硅灰石【けいかいせき】)が大きく写されている。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐116‐0]

    商品コード: 2017080903271

  •  宮ノ下の急流
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    宮ノ下の急流

    宮ノ下と木賀温泉の間の木賀の桟道辺りから見た早川の流れ。木の橋は、現在の早川遊歩道の東京電力川久保発電所近くの橋に相当するものと思われる。左の木陰に建物の屋根が見えるが、何に相当するか、よく分からない。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号98‐37‐0]

    商品コード: 2017081501616

  •  日光街道の杉並木
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    日光街道の杉並木

    写っているのは日光街道の杉並木ではない。場所は日光山内の東照宮から二荒山神社に通じる上新道(かみしんみち)。画面は二荒山神社側から東照宮方面を写している。杉木立の間に見える建物は本地堂(ほんじどう)と経蔵(きょうぞう)。=撮影年月日不明、今市、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐16‐2]

    商品コード: 2017081002689

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    摩耶山天上寺

    天上寺の、19世紀中頃に建立された3間(約5.5m) 4面の多宝塔。寺は、大阪湾を眼下に見晴らす山腹に建っていることから、外国人には「THE MOON TEMPLE 」の名で親しまれた。昭和51年 (1976) 1月火災によって、多宝塔をはじめおもな建物が灰塵に帰したが、ここから少し北寄りの、奥摩耶の地に堂宇が再建されている。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号56‐11‐0]

    商品コード: 2017081002534

  •  日光東照宮陽明門の彫刻
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    日光東照宮陽明門の彫刻

    日光東照宮陽明門の袖塀から東西に延びる延長220メートルの回廊の南側部分を撮影したもの。南側は25枚の大彫刻で飾られている。回廊を照らし出すための燭台が、ひとつひとつの彫刻の下部に取り付けられている。奥に見える建物は鳴竜で有名な本地堂(薬師堂)。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号51‐58‐2]

    商品コード: 2017081002392

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    香港海岸の建物群

    1860年代の香港の海岸通り。右手前の大きな凹形の建物はアヘン貿易で莫大な利益をあげたデント商会。左奥には香港に現存する最古の教会堂である聖ヨハネ主教座堂の先端が見えている。この通りには香港上海銀行の最初のオフィスやジャーディン・マセソン商会もあり、香港における商業・金融の中心であった。金星太陽面通過観測フランス隊の一行は、1874年8月16日にマルセイユを出港し、日本に向かう途中の9月20日頃、香港に寄港した。=撮影年月日不明、香港、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐46‐0]

    商品コード: 2017081501883

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601607

  •  石山寺
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    石山寺

    石山寺(いしやまでら)境内の本堂正面から撮影したもの。平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の第13番札所として庶民の信仰をあつめた。瓦葺の建物(蓮如堂)の奥にみえるのが本堂で、承暦2年(1096)に焼失した後、再建された。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐42‐0]

    商品コード: 2017082301139

  •  茂木
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    茂木

    整理番号8-17と同じアングルの写真であるが、潮は満潮である。時代が少し後のものであり、岬の先端に新しい建物が建てられている。明治25(1892)頃築かれる桟橋はまだ見えない。通りは旧街道になる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐25‐0]

    商品コード: 2017080400450

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601606

  •  善光寺本堂
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    善光寺本堂

    善光寺の堂塔伽藍は8回も焼失し、現存する本堂は宝永4年(1707)の再建である。間口23.7m、奥行52.8mで、日本における木造建築としては、東大寺の大仏殿、京都の三十三間堂に次ぐ建坪をもっている。建物の高さは28m。明治10年代山門の上から撮られた本堂が現在と違う点は、回廊の勾欄(こうらん・欄干)に朱が塗ってあったことである。=撮影年月日不明、長野、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐13‐0]

    商品コード: 2017080201330

  •  葬列
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    葬列

    幟に「故石橋老母喜久」とあるものの、誰の葬式かわからないのは残念である。しかし、彩色などは巧みである。建物等から東京か関西辺りで撮影されたものと思われる。=撮影年月日不明、場所不明、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号51‐127‐0]

    商品コード: 2017081002509

  •  石山寺境内の茶店
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    石山寺境内の茶店

    石山寺境内の茶店の賑わいを撮影する。境内内には屋根付きの茶店の中に縁台が設けられ、大勢の女性が縁台に座って飲食に興じている様子。犬や子供達の姿も見える。同地は高台に建ち、眼下に景色の眺望を楽しめる場所に位置する。左の一段高くなった建物は月見亭。縁台には煙草盆が置かれる。右奥に多宝塔の一部が見える。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐118‐0]

    商品コード: 2017080902932

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    初代帝国ホテル

    現在と同じ場所であるが、今と違い西の日比谷通り側でなく、北側が正面だった。手前には日比谷見附と山下見附を結ぶ堀があった。この堀は、明治36年(1903)の日比谷公園開園の時に埋め立てられた。宝塚劇場やスカラ座は、この堀のあった場所に建てられている。この建物は大正11年(1922)4月16日に全焼した。明治中期。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号53‐45‐0]

    商品コード: 2017081002639

  •  湯本温泉
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    湯本温泉

    湯本温泉街の中央白亜の建物福住旅館に明治10年(1877)建設の金泉楼、明治11年(1878)竣工の萬翠楼が見え、その右の早川に明治18年(1885)9月新設の木製トラス製以前の古い旭橋が見えるので、明治11年から18年の間の撮影である。手前の川は須雲川、左手の山は湯坂山。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐21‐0]

    商品コード: 2017081401306

  •  教会の建物
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    教会の建物

    教会の建物=撮影年月日不明、清国、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号46‐47‐0]

    商品コード: 2017080902906

  •  横須賀造船所
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    横須賀造船所

    慶応元年(1865)に幕府が建設した横浜製鉄所は、明治維新によって明治政府に接収され、第一ドックが完成した明治4年(1871)に横須賀造船所と改称された。造船所の建物群。=撮影年月日不明、横須賀、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐28‐0]

    商品コード: 2017080902443

  •  温室と男性たち
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    温室と男性たち

    農業試験所あるいは薬草園の温室か。ペンキで塗った木造でガラス張りの真新しい建物である。男たち二人はここの研究員もしくは管理者であろうか。休日らしい出で立ちに見うけられる。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号72‐17‐0]

    商品コード: 2017082301196

  •  宮ノ下富士屋ホテル
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    宮ノ下富士屋ホテル

    富士屋ホテルの写真。建物の有無から、明治25(1892)から27年(1894)頃と判断される。奈良屋旅館と外人客の獲得を争い、協定を結び、外国人は富士屋ホテルに宿泊することになった。これも外人客の撮影であろう。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号31‐6‐0]

    商品コード: 2017080902069

  •  下諏訪
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    下諏訪

    中山道と甲州街道の合流地点を甲州街道側から中山道江戸方面を撮影したもの。道の両側に立ち並ぶ建物のいくつかは、紋章を付した看板を掲げている。左に映る桔梗屋、まるやは現在も下諏訪温泉で旅館を営んでいる。写真下に見える梯子の影は、整理番号38-39の中央に見える梯子の影。=撮影年月日不明、長野、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号31‐15‐0]

    商品コード: 2017080902130

  •  小島付近墓地からの市街地
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    小島付近墓地からの市街地

    長崎の正覚寺の右上、小島郷のどんの山の墓地付近から長崎の市内中央を望む。右の丘の寺は清水寺、写真中央左の建物は、ポンペの建設した養生所で長崎医学校の前身。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐27‐0]

    商品コード: 2017080902095

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    明治初期の撮影か。台座前方には二つの大きな平石が写る。像左横には目録番号3997と同じ簡素な建物があるが銅造蓮弁(れんべん)がないので、3997よりやや下がった時期の撮影と思われる。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号69‐44‐0]

    商品コード: 2017082800617

  •  浅草公園凌雲閣
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    浅草公園凌雲閣

    浅草公園凌雲閣=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号116‐40‐0]

    商品コード: 2017081502395

  •  堂が島温泉
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    堂が島温泉

    堂ヶ島温泉の眺望で、建物は手前から近江屋、道を挟んで大和屋、その先が丸屋、次が江戸屋。 階段の上のお堂は山居山。その向こうが奈良屋。左の滝は調べの滝。平松別荘がまだないので、明治20年(1887)以前の撮影である。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐41‐0]

    商品コード: 2017082300974

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    画面には‘9. DAIBUTSU, KAMAKURA'とある。像前方2基の平石は旧大仏殿の礎石だろうか。また、像右側に植わるソテツの奥に、茅葺(かやぶき)と思える簡素な建物が写っている。撮影年代等は未詳。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号86‐9‐0]

    商品コード: 2017081400731

  •  日光東照宮陽明門
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    日光東照宮陽明門

    陽明門の裏側を写している。日光東照宮を象徴する陽明門には、江戸時代初期の工芸・装飾技術の全てが集約されている。陽明門に施された彫刻の数は508体。一日中眺めていても飽きないことから、俗に「日暮らし門」とも呼ばれる。画面左奥の建物は神楽殿(かぐらでん)。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号92‐12‐0]

    商品コード: 2017081400941

  •  木賀温泉
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    木賀温泉

    木賀温泉の亀屋周辺の様子。亀屋の三層の建物神代楼が中央に見える。また、明治22年(1889)開通の宮ノ下・宮城野間の新道に向いた亀屋の玄関が望まれるので、明治22年から、木賀温泉街が大火で焼失する明治25年(1892)までの撮影である。右に早川が流れ、箱根外輪山明神ヶ岳 も遠望できる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐20‐0]

    商品コード: 2017081401341

  •  日光東照宮唐銅鳥居付近
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    日光東照宮唐銅鳥居付近

    東照宮境内の御水舎(おみずや)の脇に建つ唐銅鳥居をとうして陽明門を見ている。唐銅鳥居は三代将軍家光の建てた日本初の青銅製鳥居である。画面左端の建物は鼓楼。その右隣に釣灯籠を納める燈台穂屋。陽明門の奥に唐門の一部が覗ける。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐38‐0]

    商品コード: 2017081400896

  •  日光東照宮御水舎
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    日光東照宮御水舎

    画面中央の白い建物は元和4(1618)年に鍋島藩が奉納した花崗岩の水盤がある御水舎(おみずや)。その右隣は経典を納める輪蔵(経蔵)。右手前は三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。日本で最初の青銅製鳥居である。唐銅鳥居をくぐり、石段を上ると陽明門の前に出る。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号88‐10‐0]

    商品コード: 2017081400793

  •  高鉾島
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    高鉾島

    明治中期(1887)頃の手彩色の写真。神ノ島の先端の高台、現在の神ノ島教会敷地付近から見た、高鉾島。神ノ島の漁村建物一部と和船が撮影されている。外国人に殉教の島と知られた、パッペンベルグ(PAPENBERG)島の記述がある。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐19‐0]

    商品コード: 2017081401042

  •  円山
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    円山

    京都市東山区の西部、東山山麓を背景として、前面山裾に新しい建物が多く建っている。明治19年(1886)の公園設置の太政官符により公園とし、円山安養寺にちなんで丸山公園と名付けられた。=撮影年月日不明、京都、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号12‐6‐0]

    商品コード: 2017080201286

  •  中禅寺湖
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    中禅寺湖

    中禅寺湖の南東の湖畔にある歌ヶ浜から、北岸の男体山や、その麓の二荒山中宮祠と六軒茶屋の家並みを写したもの。夕景色の美しい歌ケ浜は埋め立てられ、現在は大駐車場となっている。画面奥の対岸に広がる建物の様子から、明治35(1902)年以前に撮影されたものである。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐23‐0]

    商品コード: 2017081401033

  •  身延山久遠寺本堂
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    身延山久遠寺本堂

    山梨県南巨摩郡身延町に所在する日蓮宗総本山身延山久遠寺の祖師堂棲神閣の内陣の状況を収めた写真であろう。棲神閣は日蓮上人尊像を奉安する建物であり、写真奥の須弥壇内がその主要な部分にあたろう。明治14年(1881)の再建後の建物内を写した写真として貴重である。=撮影年月日不明、山梨、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐53‐0]

    商品コード: 2017081401449

  •  彦根玄宮園
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    彦根玄宮園

    玄宮園(げんきゅうえん)は、彦根城の北三の丸にある井伊家旧下屋敷の庭園。四代藩主・直興(なおおき)が、延宝7年(1679)に完成させた。名前は、中国唐代の玄宗皇帝の離宮から取ったものである。池を取り巻くように臨池閣(りんちかく)などの亭屋や緑樹・奇石などが配置されている。写真の建物は、明治以降に料理旅館業として使用されている。=撮影年月日不明、滋賀、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐44‐0]

    商品コード: 2017081401321

  •  日光東照宮唐門
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    日光東照宮唐門

    唐門は東照宮本社の正門である。江戸時代には将軍に直接拝謁できる身分の幕臣や大名だけが使用を許された。正面上部の彫刻は「舜帝朝見の儀」。唐門の内側に人物が立っている。後ろの建物が本社拝殿である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号82‐39‐0]

    商品コード: 2017081401494

  •  堂が島温泉
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    堂が島温泉

    堂ヶ嶋温泉の眺望で、建物は左手前に一部見えるのが近江屋、次が大和屋、その向こうが江戸屋。早川沿いの新しい屋根の建物も大和屋、石段の上のお堂は山居山、その左奥に見えるのは、奈良屋の跡に建てられた平松別荘。平松別荘の建設は明治20年(1887)頃なので、それ以降の撮影と思われる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐44‐0]

    商品コード: 2017081401054

  •  横浜郵便局
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    横浜郵便局

    本町通りを挟んで、右に明治8年(1875)に新築された横浜郵便局(現県庁の敷地内)、その奥は電信局(同5年竣工)。いずれも明治20年代に煉瓦造に改築されるので撮影はそれ以前。時計塔のある建物は、同7年竣工の横浜町会所(現横浜開港記念会館)。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐104‐0]

    商品コード: 2017081401689

  •  日光東照宮鐘楼
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    日光東照宮鐘楼

    画面左の建物が釣鐘が納められている鐘楼(しょうろう)。鐘楼には竜、飛竜(ひりゅう)、鶴、麒麟、波など78体の彫刻が施されている。鐘楼は陽明門を挟んで鼓楼と共に対を成している。画面の中央に陽明門が見え、そこから画面右方向に彫刻で飾られた東回廊が延びている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:スチルフリード(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号96‐102‐0]

    商品コード: 2017082200864

  •  道頓堀通り
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    道頓堀通り

    画面の中央に見える大きな建物は弁天座である。明治9年(1876)と明治27年(1894)の2度新築開場しているが、写真に写っているのは明治9年の建物である。明治20年代の撮影と思われる。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号57‐17‐0]

    商品コード: 2017081002583

  •  長崎港と浪の平南山手
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    長崎港と浪の平南山手

    南山手の琴平神社から居留地の南端と浪の平を展望する。右手前の大きな建物は、明治20年(1887) 尋常小曽根小学校の校舎を鍋冠山麓に新築し、改称した尋常鎮鼎小学校(後の浪平小学校)。玄関には先生らしき人が立ち、校庭には男女の生徒が見える。右手、丘の上の「ヨンゴ松」の直下はグラバー邸。明治20年代中頃。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐24‐0]

    商品コード: 2017082400574

  •  長崎市街中心部と長崎港
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    長崎市街中心部と長崎港

    風頭山の南端から撮影。第1次長崎港改修事業完了後の明治26年(1893)頃。中島川は出島の背後に変流し、河口には、明治23年(1890)架設の新川口橋が架かっている。銅座川が新地の北側を流れるようになり、新地の海岸部には大規模な中国商社の建物が並んでいる。明治中期の急激に近代化する長崎市街地中心部を撮影した写真である。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号75‐9‐0]

    商品コード: 2017082400615

  •  立山からの長崎港と町並み
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    立山からの長崎港と町並み

    筑後町の聖福寺の裏山から長崎市街地北部と長崎港口を撮影した写真である。写真左端の変流後の中島川の河口に明治23年(1890)に架設された錬鉄製のトラス橋、新川口橋が見える。また、明治29年(1896)に建設される中町教会がまだない。このことより、撮影時期は明治23年(1890)から明治29年(1896)の間である。出島から大波止・浦五島町・大黒町に至る、長崎市街地北部の沿岸部が撮影されている。低い角度から撮影されているために、市街地の建物の詳細を見ることができる。写真左に出島があり、中島川を湾奥に流すための導流堤が見える。その手前が大波止である。浦五島町の沿岸部には、海岸部に向いて長い倉庫群が見える。写真の右中の沿岸部のまとまった建物は、税関である。写真右下の赤い塀と長い建物は、大村藩邸の場所である。明治29年(1896)に中町教会が建設される場所である。=明治中期、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐21‐0]

    商品コード: 2017082400582

  •  グランドホテル
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    グランドホテル

    グランド・ホテル新館(18・19番)の全景。フランス人居留地建築家サルダ(P. Sarda)の設計により、明治20年(1887)に落成。写真にみえるバンド側は建物の背面で、ホテルの正面玄関は反対の水町(みずまち)通りに開いていた。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐30‐0]

    商品コード: 2017081002704

  •  歌舞伎座(東京百景ノ内)
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    歌舞伎座(東京百景ノ内)

    歌舞伎座(東京百景ノ内)=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号116‐1‐0]

    商品コード: 2017081502464

  •  Aoi gaok waterfall
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    Aoi gaok waterfall

    Aoi gaok waterfall. Print shows travelers at a roadside rest stop with several buildings, possibly a tearoom, near a waterfall. Date 1832 or 1833, printed later.、クレジット:Library of Congress/Mary Evans Picture Library/共同通信イメージズ ※エディトリアル使用のみ。表紙、広告、プロモーション、商業目的での利用はお問合せください。クレジットは必ず表記してください。

    商品コード: 2021060903788

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    九段坂と燈明台

    神田方面から皇居内濠に沿って麹町の大地にあがる急勾配の坂。関東大震災後道路改正行事で緩くなった。明治4年に東京湾の漁船の目印にと燈明台が建てられた。遠景に望まれる丸天井の建物は駿河台のニコライ堂である。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号6‐18‐0]

    商品コード: 2017080201004

  •  グランドホテル全景
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    グランドホテル全景

    英語で「グランドホテルの風景、横浜」とある。横浜バンドの東端、20番のグランドホテルの全景を元町側から撮影したものである。右端の大きな建物木骨石貼のグランドホテル旧館で、明治3年開業された。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:日下部金兵衛、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号3‐2‐0]

    商品コード: 2017080200767

  •  長崎製鉄所飽の浦工場
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    長崎製鉄所飽の浦工場

    文久元年(1861)に落成した長崎製鉄所を譲り受け、明治17年(1884)に三菱会社長崎造船所飽の浦機械工場になった。工場の建物、50トン起重機等の工場施設を見ることができる。対岸は西坂、大黒町付近。=1879(明治12)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号21‐3‐0]

    商品コード: 2017080201718

  •  師範学校正門
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    師範学校正門

    明治7年(1874)に創立されたばかりの長崎官立師範学校の正門である。門を入った左手の旧長崎奉行所の建物と新築の右手の建物が校舎(旧県知事公舎の場所)として利用された。明治5年(1872)東京に官立(国立)の師範学校が設立され、その後日本各地に設置されたが、東京師範学校と東京女子師範学校を除き、すべて府県に移管された。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐5‐0]

    商品コード: 2017081601039

  •  海上からの出島パノラマ組写真
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    海上からの出島パノラマ組写真

    梅香崎の長崎税関岸壁の先端あたりから撮影された出島のパノラマ組写真の中央。右端の旧対馬屋敷の場所では中国商社の建物が建設中である。その左は明治2年(1869)に架けられた出島新橋。=1874(明治7)年頃、長崎、撮影者:上野彦馬?、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号118‐50‐0]

    商品コード: 2017081600990

  •  日光街道の杉並木
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    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=撮影年月日不明、日光、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号93‐16‐0]

    商品コード: 2017081401029

  •  日光街道の杉並木
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    日光街道の杉並木

    日光街道の杉並木は徳川家康の三十三回忌にあたり松平正綱が寄進したものである。画面の奥に見える建物は今市の追分地蔵付近ではないかと思われる。梢の上には道なりに空が見える。当時は、月明かりや星明りを頼りにして、空を見ながら夜道を往来できたという。=撮影年月日不明、今市、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号54‐43‐0]

    商品コード: 2017081002697

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    浅草十二階凌雲閣

    同時代に造られた鹿鳴館が貴族の代表的建築とするなら、凌雲閣は庶民を代表する建物だった。高層建築のない東京にあって、縦位置で写真の撮れる数少ない建物であった。大池に写った姿を取り込み、風景では珍しい縦位置の写真となっている。凌雲閣は大正12年(1923)9月1日の関東大震災で中層から上が崩れ落ち解体された。明治23年(1890)10月竣工から間もない頃の写真。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐38‐2]

    商品コード: 2017081002785

  •  大浦天主堂と長崎港
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    大浦天主堂と長崎港

    大浦天主堂の裏から長崎港と出島を望む。ヴィルヘルム・ブルガーによるステレオ写真シリーズの1枚であり、撮影時期は明治元年(1868)頃。創建時の身廊背面(祭壇部)の外壁が半円であることから、この時期すでに正面両脇の小尖塔は失われていることが分かる。右の大きな屋根は妙行寺。大浦川の河口には大浦11番の建物が見える。=1877(明治10)年頃、長崎、撮影者:ヴィルヘルム・ブルガー、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号70‐17‐0]

    商品コード: 2017082301118

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    名古屋城

    名古屋城本丸の天守閣の東面を東一之門のあたりから撮影。天守閣左の塀は小天守へと続く。左端にわずかに写る建物は本丸御殿の上台所である。天守閣手前から右方の多門塀は明治24年(1891)の濃尾震災後に取り壊されるので、これより以前、金鯱が天守閣に戻された明治11年(1878)以降の間に撮影されたものである。目録番号4200、4415、4467とほぼ同じ写真である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号61‐2‐0]

    商品コード: 2017082800543

  •  諏訪神社の鳥居
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    諏訪神社の鳥居

    明治中期(1887)頃の手彩色の写真。参道の大鳥居を過ぎた、二の鳥居の前から、諏訪神社方面を見た写真。右側にドンコ茶屋の建物が見える。神社の中腹に、洋風建築が建てられているのは、明治中期の洋風化の情勢が伝わる写真。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐34‐0]

    商品コード: 2017081401347

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    名古屋城

    名古屋城本丸の天守閣の東面を東一之門のあたりから撮影。天守閣左の塀は小天守へと続く。左端にわずかに写る建物は本丸御殿の上台所である。天守閣手前から右方の多門塀は明治24年(1891)の濃尾震災後に取り壊されるので、これより以前、金鯱が天守閣に戻された明治11年(1878)以降の間に撮影されたものである。目録番号4200、4415、4467とほぼ同じ写真である。=撮影年月日不明、名古屋、撮影者:A.ファサリ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号81‐18‐0]

    商品コード: 2017081501740

  •  神戸市街の遠景
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    神戸市街の遠景

    諏訪山からみた神戸全景である。左中央の六角屋根の建物は明治15年に建設された、県議会議事堂である。明治中期の写真である。=撮影年月日不明、神戸、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号42‐4‐0]

    商品コード: 2017080902582

  •  高島町神風楼
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    高島町神風楼

    横浜の遊郭、神風楼の建物と女性達を撮影した写真である。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号43‐29‐0]

    商品コード: 2017080902693

  •  長崎のパノラマ
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    長崎のパノラマ

    慶応元(1865)年頃、東山手の丘から長崎市街と精得館を遠望した写真です。右側の丘の白い2棟は文久元(1861)年に建てられた養生所(病院)、その左の建物は同時に併設された医学所(学校)です。さらに左の大きな建物は、物理化学を教えるために建てられた分析究理所です。これらは慶応元(1865)年に統合され精得館と改称されます。日本における近代医学教育と病院の始まりであり、長崎大学医学部のルーツでもあります。その左には正覚寺の屋根も見えます。右下の家並みは消失する前の唐人屋敷の建物群です。よく見るとお堂や飾りが見えます。=1865年、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号124‐351‐0]

    商品コード: 2017081601605

  •  藤沢清浄光寺山門
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    藤沢清浄光寺山門

    正面に門があり、石畳が奥まで続いている。道の右側の白壁の建物には桶が並べられている。(整理番号37-80と同じ)=撮影年月日不明、藤沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号37‐4‐0]

    商品コード: 2017080902345

  •  伊勢神宮境内
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    伊勢神宮境内

    伊勢神宮は、一般に内宮と外宮と呼ばれている皇大神宮と豊受大神宮とを中心に構成されている。写真は天照大神を祭る内宮の境内で、参拝した帰路に第二鳥居を眺めた図。右の建物は神楽殿で、木立の間に御酒殿の屋根が見えている。=撮影年月日不明、三重、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐22‐0]

    商品コード: 2017082400251

  •  日光山輪王寺逍遥園
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    日光山輪王寺逍遥園

    戊辰戦争後の混乱のなか、明治4(1871)年に焼失した満願寺本坊南側の逍遙園。この庭園は、近江八景にならって造られた江戸時代を代表する池泉回遊式の庭園で現存している。ちなみに、写真右手の建物は焼失した満願寺の本坊の址に建てられた紫雲閣である。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐24‐0]

    商品コード: 2017082400252

  •  日光東照宮唐銅鳥居付近
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    日光東照宮唐銅鳥居付近

    画面左端は三代将軍家光の建てた唐銅鳥居。唐銅鳥居の右上に鼓楼。その右下が釣灯籠。画面中央に日光東照宮で最も有名な建物である陽明門。その奥に日光東照宮の本社がある。陽明門の右に鼓楼と対をなす鐘楼が見える。右端に上神庫(かみじんこ)の一部が写っている。=撮影年月日不明、日光、撮影者:臼井秀三郎(?)、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号65‐12‐0]

    商品コード: 2017082301042

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    画面には「西一九 112」の印字がある。台座の前面には銅造蓮弁(れんべん)は置かれていない。像左横の建物は目録番号3997と同じだろう。像前方2基の銅造灯籠(とうろう)の笠に渦巻き状の張り出しがあるなど明治初期の撮影と思えるが、3997とは短い時間差が感じられる。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:臼井秀三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号94‐10‐0]

    商品コード: 2017081501768

  •  堂が島温泉
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    堂が島温泉

    宮の下の東側の渓谷に展開する堂が島温泉の様子である。画面左上は宮の下の家並み、左下の建物は大和屋、中央左手の三角の屋根は夢想国師の庵、その右の滝は調べの滝、滝の右上は五段旅館、滝の右下は対星館である。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号5‐7‐0]

    商品コード: 2017080200896

  •  藤と娘たち
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    藤と娘たち

    本コレクション中に「東京亀戸の藤」(整理番号53-4)がある。本写真も同一場所と思われる。しかしここでは3人の若い女性の姿態に撮影者の意図は集中している。茶屋風の建物や堀川などに江戸の風情を残している。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号10‐50‐0]

    商品コード: 2017080201275

  •  東京の町並み
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    東京の町並み

    川向うに 「江口商店」 の看板が見える。 手前の洋風の建物には目印が見えない。=撮影年月日不明、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号9‐11‐0]

    商品コード: 2017080201038

  •  大阪の河口の風景
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    大阪の河口の風景

    川口波止場である。大阪は慶応4年(1868)7月15日に開港した。安治川河口から約4キロ上流のところに設けられ、税関・電信も設置された。写真に写っている船は外輪船である。遠くに見える洋館は、外国人居留地の建物である。明治20年(1888)ころと思われる。=撮影年月日不明、大阪、撮影者:内田九一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号66‐10‐0]

    商品コード: 2017082400284

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    飽の浦恵美須神社

    飽の浦恵美須神社。明治5年(1872)の天皇巡幸に随行した内田九一が、同じアングルで撮影しているが、比べてみると、この写真では、海側の鳥居の左にあった松がないので、それより後の撮影。また、同じアングルで明治7年(1874)8月20日の台風直後に撮影された写真に写る、岬の先の丸尾海岸の海軍埋め立て地の建物がないので、それ以前の撮影である。当時の神社の建物は消滅しているが、神社は存続している。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:上野彦馬、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号102‐18‐0]

    商品コード: 2017081501612

  •  宮ノ下と堂ヶ島
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    宮ノ下と堂ヶ島

    江戸時代、堂ヶ島には、奈良屋・江戸屋・丸屋・大和屋・近江屋があった。左手の二層の建物は大和屋、右の赤いお堂は薬師堂。中央は調べの滝、その上が五段旅館。山の上の白亜の洋館は奈良屋ホテル、その左が富士屋ホテルで、明治16年(1883)の大火後、明治24年(1891)本館竣工後の撮影と分かる。=撮影年月日不明、箱根、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐97‐0]

    商品コード: 2017080903238

  •  南山手の洋館群
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    南山手の洋館群

    マリア学園付近から見た南山手の洋館群。右手の白い建物はロシア領事館、右上には「よんご松」とグラバー邸が見える。中央左の高台の屋敷はシャーマン・ピナニール邸で、眼下に小曽根町が広がっている。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号73‐25‐0]

    商品コード: 2017082800600

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