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  •  「新華社」遼上京遺跡で大型建築基礎を発見内モンゴル自治区
    01:18.80
    2023年10月23日
    「新華社」遼上京遺跡で大型建築基礎を発見内モンゴル自治区

    中国内モンゴル自治区にある遼王朝の都城跡「遼上京遺跡」で調査を続ける中国社会科学院考古研究所と同自治区文物考古研究院の合同発掘調査チームはこのほど、遺跡内の皇城跡で配置が明瞭な東向きの大型建築物の基礎を発見したと発表した。都城内の重要建築であり、皇城の配置を理解し、遼王朝の皇室礼制建築(儀式用建築)を探求する上で重要な手がかりになるとしている。中国社会科学院考古研究所の董新林(とう・しんりん)研究員によると、発見された建築跡は中庭式建築で、長方形の平面プランを持ち、周囲に回廊が設けられていた。東側に門の跡があり、軸線上に東から西に中殿と後殿を配置していた。二つの殿堂建築の柱間はいずれも幅5間、奥行き4間だった。調査の結果、殿堂建築の基壇と建築本体は遼代から金代にかけて大きな変化はなかったものの、前方と後方の月台(テラス)、回廊につながる挟屋(付属建築)または回廊の一部に部分的な修復跡が見つかった。出土した版築(はんちく、土を幾層にも突き固める工法)基壇やその上部の覆盆型石柱礎、建築部材、磁器などは、いずれも当時の建築技術や手工業水準の高さを示していた。今回見つかった建築基礎は、皇城内で皇城南門と宮城南門を結ぶ正南街の西側で最大の中庭建築であり、その位置が重要とされる。遼の歴史書「遼史」には、皇城南西部に孔子廟や国子監(最高学府)、寺院、道観(道教寺院)など遼代初期の重要建築があったと記されており、今回発見された建築基礎の性質を知る手がかりになる。遼上京遺跡は同自治区赤峰市バイリン左旗林東鎮の南東に位置する。平面プランは「日」字に近く、北部の皇城と南部の漢城からなる。2021年には中国の「百年百大考古発見」に選ばれた。(記者/恩浩) =配信日: 2023(令和5)年10月23日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023102310634

  •  「新華社」カイコを文様にした珍しい木葉天目茶碗江西省吉安市
    00:38.45
    2023年06月14日
    「新華社」カイコを文様にした珍しい木葉天目茶碗江西省吉安市

    日本でも昔から人気が高い中国吉州窯の木葉天目茶碗には、木の葉だけでなくカイコも文様に取り入れた珍しいものがある。正式名称は「宋代吉州窯木葉蚕文磁盞」といい、現在は江西省の吉安市博物館に所蔵されている。李希朗(り・きろう)館長は「茶碗の見込み部分は1本の茎と2枚の葉の文様がある。葉はクワの葉で大小一枚ずつあり、葉脈も鮮明に見える。大きな葉の縁には葉を食べるカイコが見える。国内外の博物館でも非常に珍しい」と説明。描かれた蚕桑図は、当時の養蚕業の盛んさを彷彿させると語った。吉州窯は、隋唐~宋代に吉州と呼ばれた江西省吉安市の吉安県永和鎮にある。焼成が始まったのは晩唐期で、宋代に盛んとなり、元代末期に衰退した。江南地区で有名な民間の総合窯で種類が非常に多く、特に北宋末から南宋にかけて焼成された天目茶碗は磁器の最高峰とされる。宋元時代から日本や朝鮮、東南アジアへ輸出され、国際市場でも高い名声を得た。12~13世紀の世界で最も革新的な窯の一つであり、中でも本物の木の葉を焼き付ける「木葉貼花」は独創的な装飾技法の一つとされた。技法が生まれたのは700年余り前で、職人が黒釉をかけた茶碗に木の葉を貼り付けて高温で焼成したところ、葉脈にいたる葉の形が器物に残ったという。木葉天目茶碗には一つとして同じものがなく、半分の葉や一枚の葉、複数の葉が重なったものなど千差万別の様相を持つ。江西省博物館研究員、中国社会科学院考古研究所客員研究員の劉詩中(りゅう・しちゅう)氏は「焼成難度が極めて高く、現在まで伝わったものと発掘で出土したものを合わせても30点に満たない。カイコを文様としたものはさらに少ない」と説明。木葉天目茶碗の独創性には、自然や日常生活を手本とする当時の人々の理念が反映されていると語った。木葉蚕文の天目茶碗は、海のシルクロードにおける宋代吉州の縮図でもある。劉氏は、史料を総合すると当時の吉州の人々が耕作と養蚕を生業とし、その豊作を祈願していたことが分かるとし、生産された絹製品は吉州窯磁器とともに海のシルクロードの重要な交易品になったと語った。(記者/袁慧晶、王奕涵) =配信日: 2023(令和5)年6月14日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023061405661

  •  「新華社」殷墟で新たな道路遺構を発見洹河北岸の道路網解明進む
    01:15.37
    2022年11月09日
    「新華社」殷墟で新たな道路遺構を発見洹河北岸の道路網解明進む

    中国社会科学院考古研究所の安陽発掘作業所はこのほど、河南省安陽市にある商(殷)代の遺跡、殷墟で大型道路の遺構を発見したと発表した。殷墟の遺跡エリアは中央を流れる洹河(えんが)により南北に分かれるが、遺構は北岸エリアで見つかった。今回の発見により、北岸エリアの道路網は本来の姿を見せ始めた。中国社会科学院考古研究所の研究員で、安陽発掘作業所副所長の何毓霊(か・いくれい)氏は「道路体系はこれまでも都城の発掘調査の重点だった。新発見は3千年余り前の商代後期の都城の全体配置や交通網、機能区分などを探求する上で新たな重要材料になる」と語った。今回発見された道路遺構は東西方向に伸びており、西が低く東が高い。すでに80メートルを発掘したが、両端はさらに発掘エリア外へ伸びている。道幅は最大14メートルで、北側はすべて露出したが、南側は発掘エリア外のため、現代の建築物の下に埋もれている。何氏は出土した道路の状況について「玉砂利や土器片、砕いた骨などが敷き詰められ、長期間踏まれたり、転圧されたりしたことで硬くなっていた。わだちの痕跡も複数見つかり、かなり鮮明に見て取れる」と説明した。今回の発見で、新たな道路遺構とこれまでに出土した東西方向と南北方向の道路遺構各1本が、市街地区画を形成していたことも分かった。何氏は「東西方向に走る2本の道路の間隔は約500メートルで、いずれも南北方向の道路と交差している。道路の両側には住居や墓地、手工業工房などが密集していた」と説明。「このような市街地区画は、殷墟商代都城の集落構造や管理方式、手工業の分業などの研究を深める上での突破口になる」と述べた。殷墟は文献による考証が可能で、甲骨文や発掘調査により存在が実証された最初の商代後期の都城遺跡であり、その都市配置の解明は考古学界にとって常に重点課題だった。洹河南岸エリアではすでに道路の発掘と都市配置の研究が進んでおり、2015年以降は北岸エリアの道路体系の調査と発掘に力が入れられている。(記者/袁月明) =配信日: 2022(令和4)年11月9日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2022110907742

  •  「新華社」牛河梁遺跡で年度調査始まる5千年前の謎の解明に期待遼寧省
    00:46.84
    2022年06月27日
    「新華社」牛河梁遺跡で年度調査始まる5千年前の謎の解明に期待遼寧省

    中国遼寧省凌源市建平県にある新石器時代・紅山文化の代表的遺跡、牛河梁遺跡でこのほど、第1地点2号建築跡の年度発掘調査が始まった。中国では、同じく新石器時代に属する浙江省の良渚(りょうしょ)古城遺跡が2019年に世界遺産に登録されたのを機に、良渚文化よりも古い紅山文化への期待が高まっている。中でも1981年に発見された5500~5千年前の牛河梁遺跡は、後世の天壇(てんだん)、太廟、皇帝陵に似た壇、廟、塚からなる祭祀(さいし)遺構を持つことから、中国に連綿と伝わる文明や伝統に結び付ける見方がある。多くの専門家も中国文明の起源には多元性があり、文明の敷居をまたいでいたかもしれない紅山文化は、その中の重要な起源の一つではないかとの見方を示している。同遺跡第1地点2号跡発掘プロジェクトの責任者を務める中国社会科学院考古研究所の賈笑氷(か・しょうひょう)研究員は「今回の発掘の重点は、女神廟が第1地点2号建築跡の建築群の一部であることを確認し、これに代表される祭祀や儀式体系に対する理解を深めることにある。これも紅山文化の社会的特性を読み解く突破口になる」と語った。発掘チームはこれまでの調査を通じて2号建築跡の建設基準について整理し「紅山文化の先住民は2号建築跡の関連施設の建設に際し、南から北、低地から高地へと等高線に沿って段階的に建設する方法をとり、全体の最高地点はTJ1高台だった」とする見解をまとめた。賈氏は「今回の発見で第1地点の配置について新たな知見が得られた」と語った。2号建築跡の建築面積は、これまでに確認された範囲で6万平方メートル余りに上り、九つの基壇(土台)が見つかっている。考古学者はこれまでの発掘状況に基づき、各高台には建築物があり、うち最高地点のTJ1には女神廟より壮大な宮殿型建築があったと推測している。賈氏は「仮説が考古学的証拠により実証されれば、紅山文化の先住民が大規模な動員力と組織力を備えていたことを裏付けるだけでなく、第1地点が牛河梁遺跡の最高位の祭祀場の一つだったと証明でき、重大な意味を持つ」と指摘。第1地点は基壇の規模や構造、設計理念に至るまで中国新石器時代の考古学文化を主導する存在であり、牛河梁遺跡と紅山文化の社会が複雑化するプロセスを知る上で非常に重要だと語った。(記者/趙洪南、崔師豪) =配信日: 2022(令和4)年6月27日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2022062706539

  •  Discovering ancient Silk Road: mystery of a tomb cluster
    01:27.70
    2022年05月25日
    Discovering ancient Silk Road: mystery of a tomb cluster

    STORY: Discovering ancient Silk Road: mystery of a tomb clusterDATELINE: May 25, 2022LENGTH: 00:01:28LOCATION: QINGHAI, ChinaCATEGORY: CULTURESHOTLIST:1. various of the evacuation site of the 2018 Xuewei No.1 Tomb, offered by the evacuation team2. SOUNDBITE 1 (Chinese): HAN JIANHUA, Associate researcher with the Institute of Archaeology under the Chinese Academy of Social Sciences3. SOUNDBITE 2 (Chinese): HAN JIANHUA, Associate researcher with the Institute of Archaeology under the Chinese Academy of Social Sciences4. SOUNDBITE 3 (Chinese): HAN JIANHUA, Associate researcher with the Institute of Archaeology under the Chinese Academy of Social SciencesSTORYLINE:Dulan County,NW China‘s QinghaiYears of excavation work at Xuewei No.1 Tomb, a high-profile tomb on the Qinghai-Tibet Plateau has uncovered many mysteries...= 配信日: 2022(令和4)年5月25日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2022053108020

  •  「新華社」陶寺遺跡で床装飾のある建物跡を発見山西省臨汾市
    00:59.20
    2021年06月04日
    「新華社」陶寺遺跡で床装飾のある建物跡を発見山西省臨汾市

    中国山西省臨汾(りんふん)市襄汾(じょうふん)県の陶寺遺跡を調査する合同考古調査隊はこのほど、最新の調査結果を発表し、宮殿跡にある8千平方メートル近くの大型版築(はんちく)基礎(土を突き固めて作った基礎)で、540平方メートル余りの単体宮殿建築遺構を発見したと明らかにした。同遺構の南東では三つの小さな建物跡も見つかり、うち一つの床には精巧な装飾が施されていた。床装飾の見つかった建物跡の面積は40平方メートル余りで、北側半分の石灰塗りの床に約4千年余り前の人々が施した興味深い装飾があった。東西方向に約40センチ間隔で引かれた横線の上に、南北方向に約8センチ間隔で縦枠が引かれており、縦枠の中には3列に規則的に並んだ三角錐が型押しされていた。中国社会科学院考古研究所の研究員で合同考古調査隊の高江濤(こう・こうとう)隊長は、石灰塗りの床が2層になっていることから、室内は少なくとも2回修繕されていると指摘。2回目は意図的に装飾が施されており、建築専門家によると、こうした装飾には滑り止めの効果があることから、入浴に関係する場所ではないかとの見方を示した。高氏は「これらの発見は、中国古代の宮殿制度の発展を探る上で重要な意義がある」と述べた。(記者/王学濤、馬志異) =配信日: 2021(令和3)年6月4日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021060413359

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    00:59.41
    2021年01月27日
    「新華社」偃師商城で商代最古の水路跡を発見河南省洛陽市

    中国河南省洛陽市にある商(殷)代の都城遺跡、偃師(えんし)商城遺跡に、これまでに発見された商代の都市水路の中で最も古く、最も整備された水路があったことが、最新の考古学研究で明らかになった。偃師商城発掘チームを率いる中国社会科学院考古研究所の陳国梁(ちん・こくりょう)副研究員によると、偃師商城の内部水路は主に排水用で、外部水路には護城河(堀)とその外側を南北に流れる2本の川があった。内外の水路を循環させることで、都市の安全性や排水・洪水対策を確保したほか、宮殿エリアに3千平方メートル近い水面面積を持つ庭園を持つ美しい景観を実現したという。同遺跡は1983年に発見された。総面積は約2平方キロメートルで、大城と小城、宮殿の三重の城壁からなる。城壁や堀、城門、府庫(国家の文書・財物の保管場所)、穀倉、手工業作業場などの遺構が出土している。商の湯王が夏を滅ぼした後に築き、約200年間使用された。学術界では、同城の築城が夏王朝と商王朝の年代境界とされている。遺跡の調査では、小城エリアで異なる時期に造られたとみられる東西方向の水路2本が確認された。宮殿エリアの雨水を同エリアの外側を囲む水路に排水し、さらに幹線水路に合流させて城外に排出していたと思われる。(記者/桂娟、李文哲、袁月明)=配信日:2021(令和3)年1月27日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021012803227

  •  「新華社」河南省鞏義市、「河洛古国」の重大な考古学研究の成果を発表
    01:11.08
    2020年05月07日
    「新華社」河南省鞏義市、「河洛古国」の重大な考古学研究の成果を発表

    国河南省鄭州市文物考古研究院は7日、同省鞏義(きょうぎ)市双槐樹遺跡で見つかった古国時代の都邑遺跡における段階的かつ重大な考古学研究の成果を発表した。黄河南岸の高台に位置する双槐樹遺跡は、伊水と洛水(らくすい)が黄河に流れ込む同省鞏義市河洛鎮にある。近年、中国社会科学院考古研究所と合同で遺跡の考古学調査を続けている同研究院は、複数の著名な考古学者による実地視察と研究・検討、論証を経て、同遺跡が今から約5300年前の古国時代の都邑遺跡であるとの結論を下した。また、遺跡が河洛の中心エリアにあることから、「河洛古国」と命名することを提案した。(記者/袁月明)<映像内容>双槐樹遺跡の考古学研究の成果を発表、撮影日:2020(令和2)年5月7日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020051302739

  •  「新華社」江西省博物館の海昏侯成果展で展示品更新「孔子衣鏡」初公開
    01:03.24
    2019年07月09日
    「新華社」江西省博物館の海昏侯成果展で展示品更新「孔子衣鏡」初公開

    中国江西省博物館はこのほど、開催中の「驚きの大発見南昌漢代海昏(かいこん)侯国考古学成果展」の展示品の更新を行い、前漢時代(紀元前202年~8年)の長方形の銅鏡「孔子衣鏡」を初公開した。「孔子衣鏡」は前漢時代の諸侯墓、海昏侯劉賀(りゅうが)墓の主椁室(棺をおさめた部屋)から出土した。鏡は表面が滑らかで美しい長方形の銅板で、中間部から上下に二つに割れた状態で出土、素地全体に装飾は見られなかった。鏡の背面は木製で、保存状態は良好。鏡の背面全体に赤い漆が塗られ、孔子とその弟子の絵が描かれている。衣鏡には孔子が庶民の姿で描かれ、弟子のイメージも非常に個性的だ。この他、衣鏡には1850字の文字があり、そのうち衣鏡の裏面は孔子について600字の文字が記載されている。また、19行の「衣鏡賦」の文字がある。中国社会科学院考古研究所の王仁湘(おう・じんしょう)研究員は、衣鏡の出土位置が主椁西室の入り口付近であることから、入り口を守る魔除けのための鏡の可能性が高いが、鏡面が大きいことから服を着る際の鏡として使われた可能性もあると考えている。南昌漢代海昏侯墓は2011年の発掘以来、1万点(セット)以上の貴重な文化財が出土しており、中国漢代の政治、経済、文化の研究に重要な意義を持つ。2016年10月から常設展として同成果展が始まって以来、これまでに国内外から延べ238万人が訪れた。(記者/袁慧晶)<映像内容>前漢時代の銅鏡「孔子衣鏡」、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019071005895

  •  「新華社」エジプト、中国との考古学的協力強化に期待
    02:45.78
    2019年03月03日
    「新華社」エジプト、中国との考古学的協力強化に期待

    エジプトのハリド・アナニ考古相は3日、エジプトと中国が昨年初となる合同発掘プロジェクトを開始したことに触れ、中国との考古学的協力を一層強化していきたいと表明した。2018年11月、中国社会科学院考古研究所の調査員はエジプトのスタッフとチームを組み、ルクソール・モンチュ神殿合同発掘プロジェクトを開始した。合同発掘チームはこれまでに第1段階の作業を終え、続いて損傷した遺跡の整理・修復作業に入る。ルクソールは古代エジプト王朝の首都で、モンチュ神殿は、神殿や塔門、オベリスクなどで構成される、ルクソールで最も名高いカルナック神殿複合体の一部。(記者/李碧念、朱瑛琪)<映像内容>エジプトのハリド・アナニ考古相のインタビュー、エジプトと中国の合同発掘チームの様子など、撮影日:2019(平成31)年3月3日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019030704353

  •  「新華社」中国、エジプトと共同でルクソール·モンチュ神殿発掘へ
    02:36.39
    2018年12月06日
    「新華社」中国、エジプトと共同でルクソール·モンチュ神殿発掘へ

    中国とエジプトが、エジプト南部ルクソールにあるモンチュ神殿で行う共同発掘プロジェクトが11月29日午後、正式に始まった。中国の発掘隊がエジプトで発掘調査を行うのは新中国成立以来、今回が初めてであり、2大文明を誇る両国の考古学分野の協力は歴史的な時を迎えた。中国社会科学院考古研究所とエジプト考古省は10月、「中国・エジプト・ルクソール・モンチュ神殿共同考古学プロジェクトに関する協定」を締結し、両国による共同発掘・調査隊が正式に発足した。モンチュ神殿遺跡には大量の巨石が散在している。石には古代エジプトの神々の絵や象形文字が刻まれており、巨大な石門が巨石の散在する敷地の中央にそびえている。中国社会科学院考古学研究所の副研究員で今回のプロジェクトの中国側代表を務める賈笑氷(か・しょうひょう)氏によると、モンチュ神殿は3千年余りの歴史があり、調査の対象範囲は3万平方メートル以上に及ぶ。現在は中国の研究者4人が試験発掘を開始しているという。賈氏は、ある程度の調査を行った後に最先端の3Dモデリング技術で遺跡を3Dモデル化し、遺跡の正射画像や平面図などを制作。さらに神殿の平面配置や建築方法などの情報を把握した上で、将来の神殿の研究や修復、保護に役立てることを今回の共同発掘・調査隊の最終的な目標に定めている。ルクソールは古代エジプト王朝の首都で、モンチュは古代エジプトの鷹の顔を持つ軍神。モンチュ神殿はモンチュが祀られていた神殿を指す。ルクソールで最も名高いカルナック神殿の北側に位置しており、神殿、塔門そしてオベリスクなどで構成されるカルナック建築群の一部分をなしている。(記者/曹佩弦、于涛、呉丹妮)<映像内容>ルクソール·モンチュ神殿発掘プロジェクトの様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018121000052

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