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「元治元年」の写真・グラフィックス・映像

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    1971年12月31日
    下関海峡

    元治元年(1864)8月、英、米、仏、蘭からなる連合艦隊は下関沖に投錨、長州藩の砲台や弾薬庫を攻撃した。長州藩は3日後には休戦を申し入れた。二人の白人はこの事件を回顧してこの下関海峡を望む砲台跡に立っていると思われる。=1971(昭和46)年、下関、撮影者:THE FAR EAST、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号19‐19‐0]

    商品コード: 2017080201822

  •  南山手からの大浦居留地
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    南山手からの大浦居留地

    グラバー園の展望所下付近からの撮影。右手の大きな洋館は居留地最初の大規模ホテルであったベルヴューホテルで、その手前に柵の見えるところが大浦天主堂への坂道である。大浦海岸通りは元治元年(1864)の5間築足しを終え、突き当たりの梅香崎運上所前の突堤付け根には初代の荷物改所の建物がある。慶応3 年(1867)頃。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐17‐0]

    商品コード: 2017081501606

  •  大浦川と居留地
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    大浦川と居留地

    大浦川下流から上流を望む。元治元年(1864)から慶応2 年(1866)頃の撮影。右の二階建てはオランダ人J.ブロイニール所有の洋館、次がスミス船具商、さらに奥の洋館にはExpress の看板が出ている。左は、手前から大浦14番(オルトの貸地)、15番(グラバーの借地)。その奥の白壁は29番で、共に清国の華僑が入居していた。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐22‐0]

    商品コード: 2017081501684

  •  大浦居留地から見た大浦天主堂
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    大浦居留地から見た大浦天主堂

    東山手の中腹から大浦居留地を俯瞰し、南山手の大浦天主堂やグラバー邸を望んだもの。天主堂は正面にのみ建設足場が組まれているので、最後の仕上げをしているところであろう。右は司教館で、その下が妙行寺。一番手前の倉庫が建つところは大浦甲33 番(現・NTT病院)である。元治元年(1864)頃の撮影。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐25‐0]

    商品コード: 2017081501703

  •  本牧十二天の茶屋
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    本牧十二天の茶屋

    元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設された。翌年には馬車も通行できるようになり、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が通じた。沿道には茶屋が設けられ、また海水浴や潮干狩りでも賑わった。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐34‐0]

    商品コード: 2017081002763

  •  本牧十二天の茶屋
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    本牧十二天の茶屋

    元治元年(1864)外国人遊歩道が開かれた。沿道には茶屋が設けられた。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号15‐47‐0]

    商品コード: 2017080201469

  •  本牧十二天の茶屋
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    本牧十二天の茶屋

    元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設された。翌年には馬車も通行できるようになり、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が通じた。沿道には茶屋が設けられ、また海水浴や潮干狩りでも賑わった。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号48‐88‐0]

    商品コード: 2017080903189

  •  本牧十二天の茶屋
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    本牧十二天の茶屋

    元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設された。翌年には馬車も通行できるようになり、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が通じた。沿道には茶屋が設けられ、また海水浴や潮干狩りでも賑わった。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐28‐0]

    商品コード: 2017082301004

  •  向島白髭神社
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    向島白髭神社

    隅田七福神のひとつ寿老人を祀る。天暦5年(951)慈恵大師が近江国志賀郡から白髭大明神を勧請したのにはじまる。寺島町の総鎮守。祭神は猿田彦神。社殿は戦災を免れた。元治元年(1864)の造営。=撮影年月日不明、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号24‐1‐0]

    商品コード: 2017080400512

  •  飽の浦の谷
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    飽の浦の谷

    元治元年(1864)頃、飽の浦を訪れたベアトは、この入江にそそぎこむ大日川の石橋と人物を撮影。幕末の長崎郊外を撮影したものとして珍しい写真である。川の男性は魚を釣っているのだろうか。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐17‐0]

    商品コード: 2017080902085

  •  鎌倉の大仏
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    鎌倉の大仏

    横浜開港資料館のベアト(1825~1904?)撮影とされる大仏写真と同じ。彼は元治元年(1864)と明治初年に鎌倉に来たという。画面には銅造蓮弁(れんべん)3枚と、安永9年(1780)「奉寄進境内敷石」碑(共に現存)が写る。信仰の対象であり、現在お像に上がることは禁じられている。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐9‐0]

    商品コード: 2017081501683

  •  本牧十二天の茶屋
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    本牧十二天の茶屋

    元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設された。翌年には馬車も通行できるようになり、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が通じた。沿道には茶屋が設けられ、また海水浴や潮干狩りでも賑わった。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:玉村康三郎、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号68‐3‐2]

    商品コード: 2017082400324

  •  本牧海岸
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    本牧海岸

    本牧十二天の海岸。元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設され、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が開通した。本牧本郷村の鎮守である十二天社は、本牧神社と改称して現存。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐17‐0]

    商品コード: 2017082300942

  •  本牧十二天の茶屋
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    本牧十二天の茶屋

    元治元年(1864)、本牧および根岸を廻る外国人遊歩新道が開設された。翌年には馬車も通行できるようになり、風光明媚で知られる本牧十二天へは山手の山裾に沿った道が通じた。沿道には茶屋が設けられ、また海水浴や潮干狩りでも賑わった。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号55‐5‐0]

    商品コード: 2017081002753

  •  鶴岡八幡宮本殿
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    鶴岡八幡宮本殿

    楼門(ろうもん)の向うにあるのは六角堂(ろっかくどう)。楼門の前には銅造灯籠と石灯籠が数基あるが、六角堂や銅造灯籠などは明治初年の排仏毀釈(はいぶつきしゃく)で除却された。なお、横浜開港資料館にベアト撮影の同じ写真がある。彼は元治元年(1864)鎌倉に来ており、本資料はその頃の撮影か。=撮影年月日不明、鎌倉、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号104‐11‐0]

    商品コード: 2017081501682

  •  片瀬の龍口寺
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    片瀬の龍口寺

    山門越しに本堂を見る。正式名称は寂光山龍口寺(じゃっこうざんりゅうこうじ)。山門は元治元年(1864)大阪の豪商鹿島屋の寄進により建立されたという。本堂、山門、階段下左右の常夜灯ともに現存する。昭和48年(1973)階段下に仁王門が造られたので、景観がかなり変わった。=撮影年月日不明、藤沢、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号90‐29‐0]

    商品コード: 2017081400891

  •  大音寺の鐘楼
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    大音寺の鐘楼

    寺町の大音寺境内を正面から上がった左手にあった鐘楼を元治元年(1864)頃長崎を訪問したベアトが撮影したものである。僧侶と武士、従者がベアトを珍しそうに眺めている様子がうががえる。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐21‐0]

    商品コード: 2017080902096

  •  興福寺開山堂と麹屋町
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    興福寺開山堂と麹屋町

    麹屋町の通りから寺町方向を見たもの。写真中央の重層の楼閣は文政8年(1825)に、荒廃していた開山堂を併合した興福寺の観音堂。同じアングルでベアトが元治元年(1864)に撮ったものがあるが、これは人力車が並ぶ明治中期のものである。=撮影年月日不明、長崎、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号109‐23‐0]

    商品コード: 2017081502092

  •  本牧十二天の茶屋
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    本牧十二天の茶屋

    元治元年(1864)、山手と本牧と根岸を巡る外人遊歩新道が造られた。十二天社は本牧本郷村の鎮守である。風光明媚な本牧十二天には支道が通じており、沿道には茶屋が設けられていた。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:鈴木真一、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号41‐16‐0]

    商品コード: 2017080902591

  •  大音寺本堂
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    大音寺本堂

    元治元年(1864)頃、ベアトが撮影した寺町の大音寺本堂。僧職と武士、従者が撮影されているが、整理番号28-21の鐘楼を撮影後、移動して撮ったと思われる。ベアトは上野彦馬をこの境内で撮影している。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐26‐0]

    商品コード: 2017080902082

  •  根岸の茶店
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    根岸の茶店

    元治元年(1864)末、生麦事件に懲りた幕府は、外国人の足を東海道から遠ざけるため、横浜の東南方、根岸から本牧にかけて、外国人遊歩新道を開設した。沿道には外国人相手の茶屋が建っていた。これはそのうちの根岸村にあった茶屋だと思われるが詳細は不明である。=撮影年月日不明、横浜、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号64‐43‐0]

    商品コード: 2017082301057

  •  飽の浦の外国人宿舎
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    飽の浦の外国人宿舎

    現在の三菱病院付近にあった大長崎製鉄所のオランダ人止宿所である。2階から外を眺めているのは、造船技師レーマンか、造営師レミーと思われる。ベアトの元治元年(1864)のアルバムにも掲載されている。=1864年、長崎、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号28‐16‐0]

    商品コード: 2017080902060

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