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「公使館高輪」の写真・グラフィックス・映像

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  •  イギリス公使館高輪東禅寺山門
    1959年12月31日
    イギリス公使館高輪東禅寺山門

    安政6年(1861)東禅寺はイギリス公使館になり、初代駐日イギリス公使としてオ-ルコック(Sir Rutherford Alcock)が駐在した。文久元年(1861)5月28日に、攘夷派の水戸浪士に襲われ双方が死者や怪我人をだしている(東禅寺事件)。今も奥書院や玄関に弾痕や刀傷が残っている。3421と同じ時撮影のステレオ写真。=1859(安政6)年、東京、撮影者:ピエール・ロシエ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号70‐6‐0]

    商品コード: 2017082800553

  •  イギリス公使館高輪東禅寺山門
    1959年12月31日
    イギリス公使館高輪東禅寺山門

    「江戸のアメリカ合衆国領事館から撮影された風景」と解説があり麻布善福寺とされていた写真だが、それは間違いで、現高輪3丁目の東禅寺である。安政5年(1858)7月、幕府は日英修好条約を結び、それによりイギリス公使館に定められたのが東禅寺であった。幕末、スイス人ピエール・ロシエ撮影のステレオ写真である。本写真は3420及び3443に写る山門を横から撮影したものである。=1859(安政6)年、東京、撮影者:ピエール・ロシエ、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号70‐7‐0]

    商品コード: 2017082800573

  •  イギリス公使館高輪東禅寺山門
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    イギリス公使館高輪東禅寺山門

    東禅寺山門を境内(写真3420の反対側)から見る。山門の向こう側に斜めに生えた松が1本切られているので、3420より後の撮影である。明治初頭か。先には直ぐ海が広がっていたが、いまは埋め立てで海は遠くなってしまった。明治40年(1907)発行『東京案内』によれば、東禅寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、慶長17年(1610)、僧嶺南が溜池の上に嶺南庵として創建。寛永13年(1636)に高輪に移転し東禅寺と改めたそうである。=明治初期、東京、撮影者:不明、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号71‐2‐0]

    商品コード: 2017082800612

  •  イギリス公使館高輪東禅寺山門
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    イギリス公使館高輪東禅寺山門

    イギリス公使館高輪東禅寺山門=1863(文久3)年、東京、撮影者:F.ベアト、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ ※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。 [整理番号122‐13‐0]

    商品コード: 2017081601147

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