検索結果 56 件中 1 件 〜 50 件 "国民政府"
  1. 2020010901844

    中華民国時代の軍閥私邸、閻錫山故居を探訪山西省  12月26日、閻錫山故居の噴水池。中国山西省忻州(きんしゅう)市定襄(ていじょう)県河辺村には、中華民国時代の軍閥、閻錫山(えん・しゃくざん)の旧私邸があり、ここ数年、観光客の人気を集めている。私邸は1913年頃に建設され、3万8千平方メートル余りの敷地に現在も18区画の中庭建築が残されている。山西省出身の閻錫山は40年間近く同省を支配し、国民政府の行政院長も務めた。清政府の官費留学生として日本に留学したこともあり、陸軍士官学校を卒業している。日本での留学生活は閻錫山に深い印象を残したとされる。(忻州=新華社配信/柴婷)=2019(令和元)年12月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ 「新華社」

  2. 2020010901855

    中華民国時代の軍閥私邸、閻錫山故居を探訪山西省  12月26日、閻錫山故居に残る閻錫山自筆の家訓。中国山西省忻州(きんしゅう)市定襄(ていじょう)県河辺村には、中華民国時代の軍閥、閻錫山(えん・しゃくざん)の旧私邸があり、ここ数年、観光客の人気を集めている。私邸は1913年頃に建設され、3万8千平方メートル余りの敷地に現在も18区画の中庭建築が残されている。山西省出身の閻錫山は40年間近く同省を支配し、国民政府の行政院長も務めた。清政府の官費留学生として日本に留学したこともあり、陸軍士官学校を卒業している。日本での留学生活は閻錫山に深い印象を残したとされる。(忻州=新華社配信/柴婷)=2019(令和元)年12月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ 「新華社」

  3. 2020010901902

    中華民国時代の軍閥私邸、閻錫山故居を探訪山西省  12月26日、閻錫山故居内の都督府。ロマネスク様式の風格を持つ。中国山西省忻州(きんしゅう)市定襄(ていじょう)県河辺村には、中華民国時代の軍閥、閻錫山(えん・しゃくざん)の旧私邸があり、ここ数年、観光客の人気を集めている。私邸は1913年頃に建設され、3万8千平方メートル余りの敷地に現在も18区画の中庭建築が残されている。山西省出身の閻錫山は40年間近く同省を支配し、国民政府の行政院長も務めた。清政府の官費留学生として日本に留学したこともあり、陸軍士官学校を卒業している。日本での留学生活は閻錫山に深い印象を残したとされる。(忻州=新華社配信/柴婷)=2019(令和元)年12月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ 「新華社」

  4. 2020010901917

    中華民国時代の軍閥私邸、閻錫山故居を探訪山西省  12月26日、閻錫山故居の須弥壇(しゅみだん)の一部分。中国山西省忻州(きんしゅう)市定襄(ていじょう)県河辺村には、中華民国時代の軍閥、閻錫山(えん・しゃくざん)の旧私邸があり、ここ数年、観光客の人気を集めている。私邸は1913年頃に建設され、3万8千平方メートル余りの敷地に現在も18区画の中庭建築が残されている。山西省出身の閻錫山は40年間近く同省を支配し、国民政府の行政院長も務めた。清政府の官費留学生として日本に留学したこともあり、陸軍士官学校を卒業している。日本での留学生活は閻錫山に深い印象を残したとされる。(忻州=新華社配信/柴婷)=2019(令和元)年12月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ 「新華社」

  5. 2020010901900

    中華民国時代の軍閥私邸、閻錫山故居を探訪山西省  12月26日、閻錫山故居の給水塔。中国山西省忻州(きんしゅう)市定襄(ていじょう)県河辺村には、中華民国時代の軍閥、閻錫山(えん・しゃくざん)の旧私邸があり、ここ数年、観光客の人気を集めている。私邸は1913年頃に建設され、3万8千平方メートル余りの敷地に現在も18区画の中庭建築が残されている。山西省出身の閻錫山は40年間近く同省を支配し、国民政府の行政院長も務めた。清政府の官費留学生として日本に留学したこともあり、陸軍士官学校を卒業している。日本での留学生活は閻錫山に深い印象を残したとされる。(忻州=新華社配信/柴婷)=2019(令和元)年12月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ 「新華社」

  6. 2020010901901

    中華民国時代の軍閥私邸、閻錫山故居を探訪山西省  12月26日、閻錫山故居の新南院。中国山西省忻州(きんしゅう)市定襄(ていじょう)県河辺村には、中華民国時代の軍閥、閻錫山(えん・しゃくざん)の旧私邸があり、ここ数年、観光客の人気を集めている。私邸は1913年頃に建設され、3万8千平方メートル余りの敷地に現在も18区画の中庭建築が残されている。山西省出身の閻錫山は40年間近く同省を支配し、国民政府の行政院長も務めた。清政府の官費留学生として日本に留学したこともあり、陸軍士官学校を卒業している。日本での留学生活は閻錫山に深い印象を残したとされる。(忻州=新華社配信/柴婷)=2019(令和元)年12月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ 「新華社」

  7. 2020010901848

    中華民国時代の軍閥私邸、閻錫山故居を探訪山西省  12月26日、閻錫山故居に残る孫文(そん・ぶん)が閻錫山に寄せた揮毫を彫った壁。中国山西省忻州(きんしゅう)市定襄(ていじょう)県河辺村には、中華民国時代の軍閥、閻錫山(えん・しゃくざん)の旧私邸があり、ここ数年、観光客の人気を集めている。私邸は1913年頃に建設され、3万8千平方メートル余りの敷地に現在も18区画の中庭建築が残されている。山西省出身の閻錫山は40年間近く同省を支配し、国民政府の行政院長も務めた。清政府の官費留学生として日本に留学したこともあり、陸軍士官学校を卒業している。日本での留学生活は閻錫山に深い印象を残したとされる。(忻州=新華社配信/柴婷)=2019(令和元)年12月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ 「新華社」

  8. 2020010901864

    中華民国時代の軍閥私邸、閻錫山故居を探訪山西省  12月26日、閻錫山故居の正門。中国山西省忻州(きんしゅう)市定襄(ていじょう)県河辺村には、中華民国時代の軍閥、閻錫山(えん・しゃくざん)の旧私邸があり、ここ数年、観光客の人気を集めている。私邸は1913年頃に建設され、3万8千平方メートル余りの敷地に現在も18区画の中庭建築が残されている。山西省出身の閻錫山は40年間近く同省を支配し、国民政府の行政院長も務めた。清政府の官費留学生として日本に留学したこともあり、陸軍士官学校を卒業している。日本での留学生活は閻錫山に深い印象を残したとされる。(忻州=新華社配信/柴婷)=2019(令和元)年12月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ 「新華社」

  9. 2020010901853

    中華民国時代の軍閥私邸、閻錫山故居を探訪山西省  12月26日、閻錫山故居の東花園の中庭にある貴賓室。中国山西省忻州(きんしゅう)市定襄(ていじょう)県河辺村には、中華民国時代の軍閥、閻錫山(えん・しゃくざん)の旧私邸があり、ここ数年、観光客の人気を集めている。私邸は1913年頃に建設され、3万8千平方メートル余りの敷地に現在も18区画の中庭建築が残されている。山西省出身の閻錫山は40年間近く同省を支配し、国民政府の行政院長も務めた。清政府の官費留学生として日本に留学したこともあり、陸軍士官学校を卒業している。日本での留学生活は閻錫山に深い印象を残したとされる。(忻州=新華社配信/柴婷)=2019(令和元)年12月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ 「新華社」

  10. 2020010901755

    中華民国時代の軍閥私邸、閻錫山故居を探訪山西省  12月26日、閻錫山故居の建具に施された木彫。中国山西省忻州(きんしゅう)市定襄(ていじょう)県河辺村には、中華民国時代の軍閥、閻錫山(えん・しゃくざん)の旧私邸があり、ここ数年、観光客の人気を集めている。私邸は1913年頃に建設され、3万8千平方メートル余りの敷地に現在も18区画の中庭建築が残されている。山西省出身の閻錫山は40年間近く同省を支配し、国民政府の行政院長も務めた。清政府の官費留学生として日本に留学したこともあり、陸軍士官学校を卒業している。日本での留学生活は閻錫山に深い印象を残したとされる。(忻州=新華社配信/柴婷)=2019(令和元)年12月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ 「新華社」

  11. 2019041224679

    Conflict in Libya 11 April 2019, Libya, Zawia: Libyan fighters loyal to the self-styled Libyan National Army (LNA), led by Libyan strongman Khalifa Haftar, queue at a detention centre after being captured during battles against forces loyal to the UN-backed Government of National Accord (GNA) of Fayez Serraj. Photo: Stringer/dpa、クレジット:DPA/共同通信イメージズ 「DPA」

  12. 2019022102684

    Questions To The Government Session - Paris Secretary of State in help of the Prime Minister and Government Spokesperson Benjamin Griveaux, Minister of National Education and Youth Jean-Michel Blanquer and Prime Minister Edouard Philippe during the Questions to the government session in the National Assembly, Paris, France on February 19th, 2018 Photo by Henri Szwarc/ABACAPRESS.COM Photo via Newscom、クレジット:ABACA/ニューズコム/共同通信イメージズ 「Newscom」

  13. 2015122500378

    日本電報通信社資料  プレジデントジェファーソン号で25日に横浜に寄港した南京国民政府の宗子文氏=1933(昭和8)年8月25日(日本電報通信社撮影) SK61-146

  14. 2015012000475

    白崇禧一級上将    国民政府軍事委員会副参謀総長の白崇禧一級上将=撮影年月日不明(外番号なし) 別人K 872

  15. 2015012000473

    徐永昌二級上将    国民政府軍事委員会軍令部部長の徐永昌二級上将=撮影年月日不明(外番号なし) 別人K 871

  16. 2015012000471

    張治中二級上将    国民政府軍事委員会政治部部長の張治中二級上将=撮影年月日不明(外番号なし) 別人K 870

  17. 2014120900400

    汪首席の遺骸南京へ    飛行機に安置され、南京へ向かう国民政府の汪兆銘首席の遺骸=1944(昭和19)年11月12日、名古屋近郊の小牧飛行場(19年内地番号なし) 資料 14132

  18. 2014110700301

    トーマス・マッケーブ氏    在中華民国在外資産清算委員長のトーマス・B・マッケーブ氏。右は国民政府行政院長の宋子文氏=1946(昭和21)年10月(外番号なし) 別人K 1138

  19. 2014110700134

    顧維鈞氏    国民政府代表の顧維鈞氏=1945(昭和20)年10月5日(連番号なし) 別人K 984

  20. 2014110700125

    王世杰氏    欧州平和会議中華民国代表で国民政府外交部長の王世杰氏=1946(昭和21)年8月(外番号なし) 別人K 973

  21. 2013062900243

    尖閣は台湾の一部? カイロでの米英中首脳会談  1943年11月、カイロでの会談に臨む(左から)〓(☆草カンムリに将の旧字体)介石中国国民政府主席、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相(UPI=共同) 「大型サイド」「揺れる日中韓」波紋呼ぶ鳩山氏発言

  22. 2012102400433

    河田全権、台湾へ出発    国民政府との平和条約締結のため、台北に向かう河田全権(タラップ最上段)=1952(昭和27)年2月16日、羽田空港(27年内地436) 資料 29213

  23. 2011121200168

    日本電報通信社資料    世界海軍視察の第一歩として来日し、視察を終え米国に向かう支那(中国)国民政府の杜錫珪海軍大将(中央)=1929(昭和4)年12月20日(日本電報通信社撮影) SK15-132

  24. 2011100700181

    日本電報通信社資料    世界海軍視察の第一歩として来日した支那(中国)国民政府の杜錫珪海軍大将=1929(昭和4)年11月13日、東京・帝国ホテル(日本電報通信社撮影) SK14-98

  25. 2011080300342

    中国墓参団帰国    太原元日本軍兵器厰跡で、国民政府時代の処刑場に祭壇を造った。ヘイに囲まれたポプラ並木がある。今は工人(労働者)住宅がある=出稿1964(昭和39)年6月19日(墓参団代表撮影)(39年内地2657) 資料 69323

  26. 2011072600177

    池田首相、張群氏と会談    池田勇人首相(右)と会談する国民政府総統府の張群秘書長=1963(昭和38)年5月7日、首相官邸(38年内地 2145) 別KA 33812

  27. 2011072600175

    大平外相、張群氏と会談    大平正芳外相(右端)と会談する国民政府総統府の張群秘書長。左端は張〓生駐日大使=1963(昭和38)年5月6日、外務省(〓:ガンダレに萬)(38年内地2124) 別KA 39691

  28. 2009102100101

     皇室 28020A ◎天皇陛下、シ殿下と会見 カンボジア国民政府大統領のシアヌーク殿下夫妻と会見される天皇、皇后両陛下=1990年6月6日午前、宮殿・竹の間 (明仁 美智子)(代表撮影)

  29. 2009011900096

    「同盟写真特報」 第1633号 世界新秩序建設へ逞しき日本進撃紀元二千六百一年乃記録(1)上陸第一夜を車中で過ごした新生中国国民政府主席汪精衛氏は6月17日、駅頭ホームを飾る日華大国旗のはためき爽やかなうちに晴れの帝都入りをなした(2)聖戦すでに4年、北支に点火せる炎は遂に戦いの元凶米、英をして日本をたたしむるの止むなきに至った、支那事変より大東亜戦争へ、大東亜建設へ、皇軍は征く(3)ドイツ国民の嵐のような熱狂のうちにベルリン入りした松岡外相は、3月28日総統官邸における公式午餐会でヒトラー総統に迎えられ枢軸の固き握手を交わした(4)日仏印(フランス領インドシナ)共同防衛の成立にもとづき、我が陸海軍の精衛は7月29日堂々艦船をつらねて南部仏印のサイゴン及び同附近に平和裡進駐した(5)マレーの海底に撃沈せしめられた英戦艦プリンス・オブ・ウエールズ号甲板上にルーズベルト米大統領、チャーチル英首相両巨頭が8月10日会見、何を語り、何を策せしか、今日にして見れば笑止の二字に尽きる(6)西欧の独裁的地位を電撃的獲得せしドイツは突如、6月23日午前5時を期して、ソ連に宣戦布告、怒濤のごとき大軍は一挙に国境を突破、猛進劇を開始した(7)11月18日緊張せる世界情勢下第三次近衛内閣崩壊後、組閣の大命は東條陸相に降下、東條陸相は直ちに組閣を完了、信任状を奉呈した(8)12月8日隠忍度あり、断固米、英膺懲(ようちょう)の火蓋を切った皇軍は開戦劈頭早くも米、太平洋艦隊を撃滅、比島にマニラに香港に世紀の猛進を続けている、昭和16年12月12日海軍省検閲済乙第1599号、昭和16年12月27日(土曜日)第1633号(「支那事変」原文表記のまま)

  30. 2009011800050

    「同盟写真特報」 第1702号 我等の祖父も我等の父もかく戦った!我等も戦い抜くのだ米英撃滅の一戦を(1)我等が祖父達たちは日清戦役にかく戦い勝った(図は牛荘や市街戦)(2)そして世界最大の陸軍国として誇ったロシアと戦い、連戦連勝明治38年3月10日堂々奉天にに入城したのである(3)そして満州事変、我等の父や兄は銃を取って○起し(4)戦火は上海に飛んだ、ここでも日の御旗の行くところ燦たる武勲は樹立された(5)そして支那事変、我等は聖戦5年東亜新秩序建設のために戦い、首都南京城頭に日の御旗を翻した(6)汪主席の下、新生中国国民政府が誕生し歴史的な発足を行ったが、しかし我等の真の敵は重慶の〓(☆草カンムリに将の旧字体)介石ではなかったのだ(7)今こそ撃滅せよ!!世界人類の敵米英!!昭和16年12月8日、我が無敵海鷲はハワイを急襲、米太平洋主力艦隊を覆滅した(海軍省許可済第571号)(8)越えて1月2日、フィリピンの首都マニラに突入した(9)そして2月15日、イギリスが恃む東洋侵略の基地シンガポールを攻略した。しかし戦いは勝ったのではない!一億総○起して行くのだワシントンへ!!ロンドンへ!!、昭和17年3月10日(火曜日)第1702号(「支那事変」は原文表記のままです)

  31. 2006091200069

    李宗仁 (りそうじん)  中国、元国民政府副総理=1965(昭和40)年9月27日撮影 人物通信 2424

  32. 2006080700064

    彭孟緝 (ほう・もうき)  台湾、国民政府参謀総長、総統府参軍長(1965年6月)、駐日大使=1965(昭和40)年6月24日出稿(共同) 人物通信 2079

  33. 2003061600038

    ソン・サン (SON SANN)  カンボジア、民主カンボジア連合政府(国民政府)首相、仏教自由民主党(BLDP)党首=1989(平成元)年3月14日撮影 人物通信 25392

  34. 1999051100088

    公文書から進めるなぞ解き 沖縄県公文書館 )、社会402S、14日付朝刊以降使用、15日付朝刊以降一括使用も可、解禁厳守  琉球列島米国民政府時代の文書などの収集が進む沖縄県公文書館=4月30日、沖縄県南風原町  連載企画「21世紀に向けて 沖縄はいま」3回続きの(中) 

  35. 1998012700106

    米沖縄統治資料を公開へ 琉球列島米国民政府  浦添村(現浦添市)にあった「琉球列島米国民政府」(1969年撮影)(カラー通信B139)  

  36. 1993083000003

    共同首相、平壌へ出発  シアヌーク殿下と組閣問題などを協議するため、平壌へ向かうカンボジア暫定国民政府のラナリット(左)、フン・センの両共同首相=30日、プノンペンのポチェントン空港(共同) 海外 73208

  37. 1993070200086

    カンボジア  シアヌーク殿下が暫定国民政府の内閣を承認=1993年7月2日(共同)PKO アジア・オセアニア特派員 3949

  38. 1993060300082

    暫定政府の樹立を発表 シアヌーク殿下  暫定政府「カンボジア国民政府」の大統領兼首相に就任するシアヌーク殿下=1993(平成5)年5月22日撮影(共同)(海外71850)(PKO)(カンボジア総選挙) アジア・オセアニア特派員 3700

  39. 1991040600022

    シアヌーク大統領と会談 中山外相  6日、会談を前にカンボジア国民政府のシアヌーク大統領(右)と握手する中山外相=1991(平成3)年4月6日、北京市のシアヌーク事務所(共同)(海外57341) 中国特派員 5461

  40. 1991032600017

    海部、ソン・サン会談 会談に臨む両首相  海部首相との会談に臨むカンボジア国民政府のソン・サン首相(左)=1991(平成3)年3月26日、首相官邸 平3国内 3468

  41. 1990111600013

    スハルトーシアヌーク会談 握手する両大統領  16日、会談を前にインドネシアのスハルト大統領(左)と握手するシアヌーク・カンボジア国民政府大統領=1990(平成2)年11月16日、北京・釣魚台迎賓館(共同)(海外54439) 中国特派員 5392

  42. 1990060600016

    天皇陛下、シ殿下と会見  カンボジア国民政府大統領のシアヌーク殿下と会見される天皇陛下=1990年6月6日午前、宮殿・竹の間(明仁) (代表撮影) 皇室 28020

  43. 1990060500026

    カンボジア和平東京会議 シアヌーク殿下とサン首相  共同声明に調印のため宿舎を出る国民政府大統領のシアヌーク殿下=1990年6月5日午後、東京・内幸町の帝国ホテル(ソン・サン、来日) 平2国内 6948

  44. 1990060500027

    カンボジア和平東京会議 シアヌーク殿下とサン首相  共同声明に調印のため宿舎を出る国民政府のソン・サン首相=1990年6月5日午後、東京・内幸町の帝国ホテル(車中、来日) 平2国内 6949

  45. 1983112000008

    草野心平   草野心平、文化、くさの・しんぺい、死去・1988年11月12日、詩人、中華民国国民政府宣伝部顧問、日本現代詩人会会長、日本芸術院会員、読売文学賞受賞、文化勲章受章、文化功労者、勲三等瑞宝章受章=1983(昭和58)年11月4日 カラー通信 11772

  46. 1980061400011

    草野心平  草野心平、文化、くさの・しんぺい、死去・1988年11月12日、詩人、中華民国国民政府宣伝部顧問、読売文学賞受賞、日本学士院会員、文化勲章、文化功労者、勲三等瑞宝章受章=1980(昭和55)年2月13日 カラー通信 9367

  47. 1977013000010

    キュー・サムファン  キュー・サムファン、カンボジア、政治、KHIEU SAMPHAN、1962年・通商省長官、1967年・地下潜行会(クメール・ルージュ)議長、1970年・カンボジア王国民族連合政府副首相兼国防相、1971年・民族解放軍最高司令官、1976年4月・民主カンプチア国家幹部会議長、1979年・民主カンプチア首相兼カンボジア大民族統一愛国民主戦線暫定議長、1982年・民主カンボジア連合政府(国民政府)樹立で外務担当副大統領、1985年8月・ポル・ポト派代表(議長)=1976(昭和51)年12月29日整理、複写(UPI=共同)TVのみ使用可 カラー通信 7160

  48. 1933070100001

    川島芳子 (かわしま・よしこ)  日中戦争下で男装のスパイとして活躍、「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた。後に、北京で国民政府軍により逮捕、銃殺されたといわれる。写真左が川島芳子=1933(昭和8)年頃撮影(複写) M_6791

  49. 1933042600001

     M_6787 ◎川島芳子(かわしま・よしこ) 日中戦争下男装のスパイとして活躍、「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた。後に北京で国民政府軍により逮捕、銃殺されたといわれる=1933(昭和8)年頃撮影、複写(人物18900)

  50. 1933042500001

     M_6790 ◎川島芳子(かわしま・よしこ) 日中戦争下に男装のスパイとして活躍、「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた。後に北京で国民政府軍により逮捕、銃殺されたといわれる=1933(昭和8)年頃撮影、複写(人物18900)

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