KYODO NEWS IMAGELINK

報道写真の購入なら共同通信イメージリンク

お問い合わせ
03-6252-6224
平日9:30-18:00
  • 記者
  • 令和
  • 文化
  • 内容
  • 映像
  • 遺跡
  • 完了
  • 実施
  • 歴史
  • 考古学

「文物管理」の映像

絞り込み
  • 提供元
  • 日付
  • 映像
  • 向き
  • カテゴリ
並び順
  • 新しい順
10
( 1 10 件を表示)
  • 1
10
( 1 10 件を表示)
絞り込み
並び順
  • 新しい順
  • 本映像はログイン後にご覧いただけます
    01:30.76
    2023年05月06日
    「新華社」万里の長城のデジタル保存甘粛省で進む取り組み

    中国甘粛省内にある万里の長城の全長は3654キロで、全国で2番目に長い。同省はここ数年、長城保護に関するプロジェクトを30件余り実施し、デジタル技術を駆使した長城の保護を進めている。張掖(ちょうえき)市山丹県にある漢代と明代の長城遺跡は200キロを超え、国内でも比較的保存状態の良い区間とされる。中でも峡口古城は明代長城の重要な構成要素となるが、同県文物局の白玉章(はく・ぎょくしょう)副研究館員によると、長い年月により城壁の一部に破損や崩落が生じ、長城沿いの過街楼(道路をまたいで作られた建物)などの歴史的遺構も異なる程度の損傷を受けている。地元の文物管理部門はここ数年、長城の補強・修復作業を継続するとともに、2021年10月には峡口古城の3次元デジタル化保護プロジェクトを試験的に始動。デジタル技術を用いて約25平方キロの範囲内にある長城本体と周辺環境のデータ収集と3次元再構成を行った。3次元デジタル化プラットフォームの構築はほぼ完了しており、職員がパソコンで長城の城壁や周辺環境を全方位的に観察できるようになっている。作業の様子を取材すると、拡大された画面からは城壁れんがの質感や彫刻の模様まではっきりと確認できた。同県文化・体育・テレビラジオ・観光局の張靂(ちょう・れき)副局長によると、峡口古城での試みは、甘粛省にとって最初の3次元デジタル化長城保護プロジェクトであり、長城の本体保護と価値研究に新たな手段と方法をもたらしたという。(記者/范培珅、任延昕) =配信日: 2023(令和5)年5月6日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023050606682

  •  「新華社」元代の墓7基を発掘一部に保存状態の良い壁画山西省陽泉市
    00:45.92
    2023年03月06日
    「新華社」元代の墓7基を発掘一部に保存状態の良い壁画山西省陽泉市

    中国山西省考古研究院はこのほど、同省陽泉市ハイテク産業開発区南楊家荘村の西にある台地で29基の墓を発掘したと発表した。うち7基は元代のものだという。7基のうちの3基(M6、M11、M15)はドーム型天井を持つ擬木構造の磚(せん)室壁画墓(磚はれんがの意)で、年代がはっきりしている。墓の配置と装飾から同一家族のものと思われ、M15墓の保存状態が最も良かった。M15墓は、墓道と墓門、甬道(ようどう)、墓室からなり、墓室の平面は八角形をしている。五つの耳室(じしつ、5部屋)を持ち、側壁と天井に壁画や彩色画が描かれていた。残りの2基はほぼ同じ形状で、墓室は同様に「備宴(宴会の準備)図」「挑灯(明かりを掲げる)図」「耄耋(ぼうてつ、猫と蝶)図」などの壁画で飾られ、「有銭不使用、死後一場空(金があっても使わずに死ねば無駄に終わる)」「生事之以礼、死葬之以礼(生前は礼をもって仕え、死後は礼をもって葬る)」などの言葉が書かれていた。陽泉市文物管理センターの職員、韓利忠(かん・りちゅう)氏は、壁画は元代の家具の形状や服飾、生活習慣を研究する上での直感的根拠になると説明。特に年代が明記されていた3基は、同じ類型の墓の年代を判断する際の基準になると語った。(記者/馬志異) =配信日: 2023(令和5)年3月6日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023030609086

  •  「新華社」世界遺産「左江花山の岩絵」チワン族の祖先が描いた神秘的なトーテム
    00:50.58
    2021年08月31日
    「新華社」世界遺産「左江花山の岩絵」チワン族の祖先が描いた神秘的なトーテム

    中国広西チワン族自治区崇左(すうさ)市を流れる左江とその支流明江の両岸にそびえ立つ断崖絶壁には、古代の無名の画家たちが赤褐色の顔料で描いた巨大で神秘的な岩絵がある。川の両岸約105キロの38カ所に分布しており、2016年に「左江花山の岩絵の文化的景観」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録された。岩絵は専門家の考証により、2千年前にこの地に住み、栄えたチワン族の祖先、駱越(らくえつ)人が描いたことが分かっている。2千年以上もの間、風雨にさらされてきたが、大半の絵は今も鮮明で、色も鮮やかさを保っている。分布の広さや断崖に描く難しさ、絵の雄大さなどから国内外で希少とされる。中でも、崇左市寧明県の中心市街地から南西約25キロの明江北岸にある「寧明花山の岩絵」が最も壮観とされる。寧明県文物管理所の朱秋平(しゅ・しゅうへい)所長によると、花山の標高は345メートルで、岩絵は幅221メートル、高さ約45メートルにわたって描かれている。約111組の絵があり、描かれた図像は1951点。面積は8千平方メートル余りに上る。人や馬、犬、刀、剣、銅鼓(青銅製の片面太鼓)、羊角鈕鐘(ようかくちゅうしょう、釣り鐘状の楽器)などが描かれており、人物像はいずれも膝を曲げて腰を落とし、素朴で豪快な姿をしている。図像は最大のもので3・58メートル、最小のもので20センチとなる。朱氏によると、寧明花山の岩絵の中核となるのは、絶壁の中央に描かれた馬上の「巨人」だという。高さ1・78メートルで、両足を広げ、膝を曲げて馬の上に立ち、腰に剣を差している。頭に動物の飾りを載せ、両腕を高く上げており、部族の長が部落の会盟や祭祀をつかさどっているように見える。地元のチワン族の人々は、この「巨人」こそ駱越王であり、岩絵はチワン族の文化とルーツを物語る神秘的なトーテムだと考えている。考古学者は、岩絵が戦国時代から後漢時代に描かれ、最も古いものは2千年余り前にさかのぼると特定している。制作期間は700年ほど続いたとみられる。(記者/黄耀滕) =配信日: 2021(令和3)年8月31日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021090104504

  •  「新華社」雲海に浮かぶ降雪後の金山嶺長城河北省承徳市
    00:57.94
    2021年03月20日
    「新華社」雲海に浮かぶ降雪後の金山嶺長城河北省承徳市

    中国河北省承徳市灤平(らんへい)県にある金山嶺長城で20日、雪がやみ、雲海が出現した。金山嶺長城文物管理処のスタッフによると、降雪後に雲海が見られるのは非常に珍しいという。=配信日:2021(令和3)年3月20日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2021033007120

  •  「新華社」冬笋壩遺跡で船棺墓が集中出土重慶市
    01:00.60
    2020年12月21日
    「新華社」冬笋壩遺跡で船棺墓が集中出土重慶市

    国重慶市文化遺産研究院と同市九竜坡区文物管理所からなる考古学調査隊はこのほど、九竜坡区の冬笋壩(とうじゅんは)遺跡の段階的な発掘作業を完了した。遺跡からは墓葬が集中的に分布するエリアが見つかり、幾つかの代表性のある墓を発掘した。中でも「船棺」と呼ばれる船形のひつぎを用いた墓が1957年以降で初めて集中的に出土した。発掘エリアでは墓28基とれんが窯1カ所が出土した。主な遺構は戦国時代後期から前漢時代初期の巴文化の墓葬となる。これまでに船棺墓4基、長方形土坑墓11基、正方形土坑墓1基、塼室墓(せんしつぼ、れんが造りの墓)1基の発掘を終えており、銅器や土器、陶器、ガラス器、鉄器などの遺物200点余りが出土した。(記者/呉竜) =配信日: 2020(令和2)年12月21日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020122203548

  •  「新華社」雲南省で新石器~明清時代まで続いた集落遺跡を発掘
    01:39.96
    2020年09月26日
    「新華社」雲南省で新石器~明清時代まで続いた集落遺跡を発掘

    中国の雲南省文物考古研究所は26日、臨滄市文物管理所などと共同で実施した芒嘎(ぼうかつ)遺跡の考古学発掘調査が、このほど完了したと明らかにした。遺跡からは、溝や墓葬、灰坑などの遺構128カ所、石器や土器、陶器、青銅器などの遺物約1500点(組)が出土した。同遺跡は雲南省臨滄市耿馬(こうま)タイ族ワ族自治県の勐簡(もうかん)郷にある。大きさは東西約530メートル、南北約220メートルで、総面積約11万平方メートル。今回は付近の高速道路建設に伴う発掘調査となり、97のグリッド(区画)に分けた9600平方メートルで実施した。雲南省文物考古研究所の胡長城(こ・ちょうじょう)副研究員は「遺跡は川辺の台地にあり、新石器時代から明清時代まで集落として使われた。継続時間が長く、出土遺物の形状もさまざまで、遺跡の類型も多い。南汀河(なんていが)流域、さらには雲南省南西部の民族や文化、歴史を研究する上で重要な価値がある」と語った。(記者/孫敏、厳勇)<映像内容>芒嘎遺跡の発掘調査の様子、撮影日:2020(令和2)年9月26日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020093008730

  •  「新華社」1万6千年前のヒト頭蓋骨化石を発見広西チワン族自治区
    00:45.14
    2020年09月16日
    「新華社」1万6千年前のヒト頭蓋骨化石を発見広西チワン族自治区

    中国広西チワン族自治区の広西文物保護・考古研究所はこのほど、同自治区南寧市隆安県にある婭懐洞(あかいどう)遺跡の調査で、約1万6千年前の墓葬とヒトの頭蓋骨化石、イネ科植物由来の珪酸体(シリカ体)などを発見したと明らかにした。同遺跡は隆安県喬建鎮博浪村の山の上にある。2014年に発見され、15~17年に広西文物保護・考古研究所と隆安県文物管理所が実施した発掘調査で旧・新石器時代の異なる時期の文化遺構が見つかった。遺跡からは、大量の石器や少量の蚌器(大型の貝殻から作られた道具)、骨器のほか、土器片、大量の水生・陸生動物の遺骸、植物など1万点以上の遺物も出土した。婭懐洞遺跡は2019年10月16日、第8次全国重点文物保護単位(国宝・重要文化材に相当)に指定された。<映像内容>広西チワン族自治区で約1万6千年前の墓葬とヒトの頭蓋骨化石など発見、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020091701964

  • 本映像はログイン後にご覧いただけます
    01:00.86
    2020年08月03日
    「新華社」チャハル民主政府旧跡、保存修理工事進む河北省張家口市

    中国河北省張家口市宣化区の全国重点文物保護単位(国宝・重要文化財)「察哈爾(チャハル)民主政府旧跡」で、先月から保存修理工事が進められている。同区文物管理所によると、工事は11月に完了する予定。1902年に創建された敷地面積6757平方メートルの大規模建築群で、2013年に国務院が第7陣の全国重点文物保護単位に指定した。中庭が三つある伝統建築「三進四合院(さんしんしごういん)」で、部屋数は120室余り。中洋折衷の造りで、上空から見ると建物全体が「目」の字形に見える。現在は前庭と中庭の建物が宣化博物館となっており、裏庭は宣化天主教(カトリック)教会が使用している。長年手入れがされないまま経年劣化が進み、壁にひびが入るなど、建物の安全性に懸念が生じていた。工事では主に劣化したれんがを差し替え、屋根や天井を修復し、往時の建築群の姿を再現する。(記者/王昆)<映像内容>チャハル民主政府旧跡の保存修理工事の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020080405490

  •  「新華社」清東陵で一部陵墓の補修プロジェクト始まる河北省
    01:05.75
    2020年08月03日
    「新華社」清東陵で一部陵墓の補修プロジェクト始まる河北省

    中国河北省の文物局はこのほど、同省遵化(じゅんか)市にある清朝の歴代皇帝陵墓群「清東陵」を管理する清東陵文物管理処に対し、一部の陵墓の修復実施を許可したと明らかにした。順治帝の孝陵や咸豊帝の定陵、同治帝の恵陵などが対象となる。清東陵は同市の中心市街地の北西30キロの地点にあり、北京市の市街地からは東に125キロ離れている。敷地面積は80平方キロで、国内に現存する帝王陵墓建築群の中で最も規模が大きく、体系が整い、格式に合わせて配置されていることで知られる。皇帝陵や皇后陵15基の造営は1661(順治18)年の順治帝の孝陵に始まり、1908(光緒34)年の西太后の菩陀峪定東陵まで247年間にわたり続けられた。(記者/王昆)<映像内容>歴代皇帝陵墓群「清東陵」の風景、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020080405487

  •  「新華社」謎多い三峡ダム地区最大の岩棺群「荊竹壩岩棺群」重慶市巫渓県
    01:21.32
    2019年10月17日
    「新華社」謎多い三峡ダム地区最大の岩棺群「荊竹壩岩棺群」重慶市巫渓県

    中国重慶市巫渓(ふけい)県内を流れる大寧河(だいねいが、長江の支流)の支流、東溪河の荊竹(けいちく)峡西岸には、24基の棺(ひつぎ)が絶壁の岩の隙間に置かれた「荊竹壩(けいちくは)岩棺群」がある。水面からの高さ150メートルの断崖絶壁に置かれた岩棺群には2千年以上の歴史がある。三峡ダム地区では最も多数の岩棺が集中的に配置されており、保存状態が最も良い岩棺群とされる。重く巨大な棺をどうやって岩の隙間に置いたのかは「難解な暗号」として崖の上に長い間残され、これまで完全に解読した人はいない。同県文物管理所の研究員によると、岩棺は懸棺とも呼ばれる中国南方の古代少数民族の葬俗で、崖葬(がいそう)の一種だという。崖葬とは、崖にうがった数カ所の穴に木のくいを挿し込み、その上に棺を置くか、崖に元々ある穴に棺の片側を置き、もう片側を崖に固定した木のくいの上に置く方法で、崖の下から棺が見られることから崖葬と呼ばれるようになった。四川大学歴史学部の考古学専攻の教員と学生が1980年、荊竹壩で現地調査を行い、最も低い位置にあった棺1基(M18)を取り外した。棺の中に残っていた男女各1人の遺骨は現在、岩棺群博物館で保管されている。考証によると、この棺は今から2千年以上前の巴国(周代に長江上流域を中心に栄えた王国)の時代に崖葬された木棺だという。棺は、木質がきめ細かくなめらかで、防水性が高く、腐食しにくいタブノキで作られていた。同県文物管理所の研究員によると、古代人はタブノキを半分に割って中をくりぬき、棺のふた部分の断面を半月状にし、ふたと本体が合わさる部分とが互いにはまり込む形にすることで、1本の釘も使わずにピッタリ組み合わさるようにして、自然な形で一体化させたという。同岩棺群は、周代の巴国と楚国(現在の湖北省と湖南省を中心に栄えた王国)の文化融合や古代少数民族の親族関係、葬送方式を研究する重要な実物資料であり、2013年に第7期全国重点文物保護単位に指定された。巫渓県内の大寧河流域全体には、現在分かっているだけで276カ所の岩棺遺跡があるとされる。同岩棺群内で最大の棺は、長さ約3メートル、高さ約1・5メートルあり、内側にやや小さな棺が入っており、崖葬の中でも特殊な形式となっている。(記者/黎華玲)<映像内容>断崖絶壁に置かれた岩棺群、岩棺群博物館の展示、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019101703341

  • 1