検索結果 20 件中 1 件 〜 20 件 "清朝康熙"
  1. 2019111501339

    「新華社」 内モンゴルのチベット仏教寺院、五当召を訪ねて  12日、五当召の建築群。(小型無人機から)中国内モンゴル自治区包頭市北東部の五当溝にある寺院、五当召(ごとうしょう)は元の名を巴達嘎爾廟といい、清朝康熙(こうき)年間に創建された。主体の建物は六つの殿堂、三つの府と一つの陵からなり、同自治区最大規模で保存状態が最も良いチベット仏教寺院だ。チベット自治区のポタラ宮、青海省のタール(塔爾)寺、甘粛省のラプラン寺と並ぶ中国のチベット仏教の四大名刹(めいさつ)の一つで「小ポタラ宮」とも呼ばれ、豊かな歴史や宗教、民族文化を感じさせる。(フフホト=新華社記者/彭源)=2019(令和元)年11月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  2. 2019111501281

    「新華社」 内モンゴルのチベット仏教寺院、五当召を訪ねて  12日、五当召の一角。中国内モンゴル自治区包頭市北東部の五当溝にある寺院、五当召(ごとうしょう)は元の名を巴達嘎爾廟といい、清朝康熙(こうき)年間に創建された。主体の建物は六つの殿堂、三つの府と一つの陵からなり、同自治区最大規模で保存状態が最も良いチベット仏教寺院だ。チベット自治区のポタラ宮、青海省のタール(塔爾)寺、甘粛省のラプラン寺と並ぶ中国のチベット仏教の四大名刹(めいさつ)の一つで「小ポタラ宮」とも呼ばれ、豊かな歴史や宗教、民族文化を感じさせる。(フフホト=新華社記者/彭源)=2019(令和元)年11月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  3. 2019111501283

    「新華社」 内モンゴルのチベット仏教寺院、五当召を訪ねて  12日、五当召の建築群。(小型無人機から)中国内モンゴル自治区包頭市北東部の五当溝にある寺院、五当召(ごとうしょう)は元の名を巴達嘎爾廟といい、清朝康熙(こうき)年間に創建された。主体の建物は六つの殿堂、三つの府と一つの陵からなり、同自治区最大規模で保存状態が最も良いチベット仏教寺院だ。チベット自治区のポタラ宮、青海省のタール(塔爾)寺、甘粛省のラプラン寺と並ぶ中国のチベット仏教の四大名刹(めいさつ)の一つで「小ポタラ宮」とも呼ばれ、豊かな歴史や宗教、民族文化を感じさせる。(フフホト=新華社記者/彭源)=2019(令和元)年11月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  4. 2019111501294

    「新華社」 内モンゴルのチベット仏教寺院、五当召を訪ねて  12日、五当召の建築群。(小型無人機から)中国内モンゴル自治区包頭市北東部の五当溝にある寺院、五当召(ごとうしょう)は元の名を巴達嘎爾廟といい、清朝康熙(こうき)年間に創建された。主体の建物は六つの殿堂、三つの府と一つの陵からなり、同自治区最大規模で保存状態が最も良いチベット仏教寺院だ。チベット自治区のポタラ宮、青海省のタール(塔爾)寺、甘粛省のラプラン寺と並ぶ中国のチベット仏教の四大名刹(めいさつ)の一つで「小ポタラ宮」とも呼ばれ、豊かな歴史や宗教、民族文化を感じさせる。(フフホト=新華社記者/彭源)=2019(令和元)年11月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  5. 2019111501299

    「新華社」 内モンゴルのチベット仏教寺院、五当召を訪ねて  12日、五当召の建築群。(小型無人機から)中国内モンゴル自治区包頭市北東部の五当溝にある寺院、五当召(ごとうしょう)は元の名を巴達嘎爾廟といい、清朝康熙(こうき)年間に創建された。主体の建物は六つの殿堂、三つの府と一つの陵からなり、同自治区最大規模で保存状態が最も良いチベット仏教寺院だ。チベット自治区のポタラ宮、青海省のタール(塔爾)寺、甘粛省のラプラン寺と並ぶ中国のチベット仏教の四大名刹(めいさつ)の一つで「小ポタラ宮」とも呼ばれ、豊かな歴史や宗教、民族文化を感じさせる。(フフホト=新華社記者/彭源)=2019(令和元)年11月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  6. 2019111501340

    「新華社」 内モンゴルのチベット仏教寺院、五当召を訪ねて  12日、五当召の建築群。(小型無人機から)中国内モンゴル自治区包頭市北東部の五当溝にある寺院、五当召(ごとうしょう)は元の名を巴達嘎爾廟といい、清朝康熙(こうき)年間に創建された。主体の建物は六つの殿堂、三つの府と一つの陵からなり、同自治区最大規模で保存状態が最も良いチベット仏教寺院だ。チベット自治区のポタラ宮、青海省のタール(塔爾)寺、甘粛省のラプラン寺と並ぶ中国のチベット仏教の四大名刹(めいさつ)の一つで「小ポタラ宮」とも呼ばれ、豊かな歴史や宗教、民族文化を感じさせる。(フフホト=新華社記者/彭源)=2019(令和元)年11月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  7. 2019111501284

    「新華社」 内モンゴルのチベット仏教寺院、五当召を訪ねて  12日、五当召の建築群。(小型無人機から)中国内モンゴル自治区包頭市北東部の五当溝にある寺院、五当召(ごとうしょう)は元の名を巴達嘎爾廟といい、清朝康熙(こうき)年間に創建された。主体の建物は六つの殿堂、三つの府と一つの陵からなり、同自治区最大規模で保存状態が最も良いチベット仏教寺院だ。チベット自治区のポタラ宮、青海省のタール(塔爾)寺、甘粛省のラプラン寺と並ぶ中国のチベット仏教の四大名刹(めいさつ)の一つで「小ポタラ宮」とも呼ばれ、豊かな歴史や宗教、民族文化を感じさせる。(フフホト=新華社記者/彭源)=2019(令和元)年11月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  8. 2019111501388

    「新華社」 内モンゴルのチベット仏教寺院、五当召を訪ねて  12日、五当召の一角。中国内モンゴル自治区包頭市北東部の五当溝にある寺院、五当召(ごとうしょう)は元の名を巴達嘎爾廟といい、清朝康熙(こうき)年間に創建された。主体の建物は六つの殿堂、三つの府と一つの陵からなり、同自治区最大規模で保存状態が最も良いチベット仏教寺院だ。チベット自治区のポタラ宮、青海省のタール(塔爾)寺、甘粛省のラプラン寺と並ぶ中国のチベット仏教の四大名刹(めいさつ)の一つで「小ポタラ宮」とも呼ばれ、豊かな歴史や宗教、民族文化を感じさせる。(フフホト=新華社記者/彭源)=2019(令和元)年11月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  9. 2019111501325

    「新華社」 内モンゴルのチベット仏教寺院、五当召を訪ねて  12日、五当召の一角。中国内モンゴル自治区包頭市北東部の五当溝にある寺院、五当召(ごとうしょう)は元の名を巴達嘎爾廟といい、清朝康熙(こうき)年間に創建された。主体の建物は六つの殿堂、三つの府と一つの陵からなり、同自治区最大規模で保存状態が最も良いチベット仏教寺院だ。チベット自治区のポタラ宮、青海省のタール(塔爾)寺、甘粛省のラプラン寺と並ぶ中国のチベット仏教の四大名刹(めいさつ)の一つで「小ポタラ宮」とも呼ばれ、豊かな歴史や宗教、民族文化を感じさせる。(フフホト=新華社記者/彭源)=2019(令和元)年11月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  10. 2019111501344

    「新華社」 内モンゴルのチベット仏教寺院、五当召を訪ねて  12日、五当召の建築群。(小型無人機から)中国内モンゴル自治区包頭市北東部の五当溝にある寺院、五当召(ごとうしょう)は元の名を巴達嘎爾廟といい、清朝康熙(こうき)年間に創建された。主体の建物は六つの殿堂、三つの府と一つの陵からなり、同自治区最大規模で保存状態が最も良いチベット仏教寺院だ。チベット自治区のポタラ宮、青海省のタール(塔爾)寺、甘粛省のラプラン寺と並ぶ中国のチベット仏教の四大名刹(めいさつ)の一つで「小ポタラ宮」とも呼ばれ、豊かな歴史や宗教、民族文化を感じさせる。(フフホト=新華社記者/彭源)=2019(令和元)年11月12日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  11. 2019102800635

    「新華社」 清代の「功徳碑」、御茶園石碑を訪ねて福建省邵武市  18日、邵武市和平鎮坪上村の「御茶園」の跡地に再建された茶園の一部。栽培されているのは「小緑茶」と呼ばれる品種で樹齢は数百年とされる。中国福建省南平市邵武(しょうぶ)市和平古鎮の西北部にある山村、坪上村には、2012年に見つかった清朝康熙(こうき)年間の「御茶園」石碑がある。記者はこのほど、石碑の秘密を解くために同村を訪れた。石碑の高さは約1・5メートルで、300文字余りが楷書体で刻まれている。上部の左角は欠けている。碑首には横書きで「竜橋記」と刻まれており、碑文の右端には「観音坑御茶園助銀三十両」、左端には「清康熙己亥五十八年五月十四日」の文字がはっきりと読み取れる。邵武市出身の文化財・古美術鑑定家、趙国進(ちょう・こくしん)さんによると、石碑は橋の建設資金を寄付した人々を称える「功徳碑」で、康熙58(1719)年に村で「竜橋」が建設された際に資金を寄付した人々の所在地や金額、姓名が記されている。(邵武=新華社記者/彭張青)=2019(令和元)年10月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  12. 2019102800818

    「新華社」 清代の「功徳碑」、御茶園石碑を訪ねて福建省邵武市  18日、「御茶園」茶山跡地で茶の木を覆う草やつるを取り除く坪上村の村民。中国福建省南平市邵武(しょうぶ)市和平古鎮の西北部にある山村、坪上村には、2012年に見つかった清朝康熙(こうき)年間の「御茶園」石碑がある。記者はこのほど、石碑の秘密を解くために同村を訪れた。石碑の高さは約1・5メートルで、300文字余りが楷書体で刻まれている。上部の左角は欠けている。碑首には横書きで「竜橋記」と刻まれており、碑文の右端には「観音坑御茶園助銀三十両」、左端には「清康熙己亥五十八年五月十四日」の文字がはっきりと読み取れる。邵武市出身の文化財・古美術鑑定家、趙国進(ちょう・こくしん)さんによると、石碑は橋の建設資金を寄付した人々を称える「功徳碑」で、康熙58(1719)年に村で「竜橋」が建設された際に資金を寄付した人々の所在地や金額、姓名が記されている。(邵武=新華社記者/彭張青)=2019(令和元)年10月18日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  13. 2019102800739

    「新華社」 清代の「功徳碑」、御茶園石碑を訪ねて福建省邵武市  17日、「御茶園」石碑の碑文の左端に刻まれた「清康熙己亥五十八年五月十四日」の文字。中国福建省南平市邵武(しょうぶ)市和平古鎮の西北部にある山村、坪上村には、2012年に見つかった清朝康熙(こうき)年間の「御茶園」石碑がある。記者はこのほど、石碑の秘密を解くために同村を訪れた。石碑の高さは約1・5メートルで、300文字余りが楷書体で刻まれている。上部の左角は欠けている。碑首には横書きで「竜橋記」と刻まれており、碑文の右端には「観音坑御茶園助銀三十両」、左端には「清康熙己亥五十八年五月十四日」の文字がはっきりと読み取れる。邵武市出身の文化財・古美術鑑定家、趙国進(ちょう・こくしん)さんによると、石碑は橋の建設資金を寄付した人々を称える「功徳碑」で、康熙58(1719)年に村で「竜橋」が建設された際に資金を寄付した人々の所在地や金額、姓名が記されている。(邵武=新華社記者/彭張青)=2019(令和元)年10月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  14. 2019102800727

    「新華社」 清代の「功徳碑」、御茶園石碑を訪ねて福建省邵武市  17日、「御茶園」石碑を考証した文化財・古美術鑑定家の趙国進氏。中国福建省南平市邵武(しょうぶ)市和平古鎮の西北部にある山村、坪上村には、2012年に見つかった清朝康熙(こうき)年間の「御茶園」石碑がある。記者はこのほど、石碑の秘密を解くために同村を訪れた。石碑の高さは約1・5メートルで、300文字余りが楷書体で刻まれている。上部の左角は欠けている。碑首には横書きで「竜橋記」と刻まれており、碑文の右端には「観音坑御茶園助銀三十両」、左端には「清康熙己亥五十八年五月十四日」の文字がはっきりと読み取れる。邵武市出身の文化財・古美術鑑定家、趙国進(ちょう・こくしん)さんによると、石碑は橋の建設資金を寄付した人々を称える「功徳碑」で、康熙58(1719)年に村で「竜橋」が建設された際に資金を寄付した人々の所在地や金額、姓名が記されている。(邵武=新華社記者/彭張青)=2019(令和元)年10月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  15. 2019102800812

    「新華社」 清代の「功徳碑」、御茶園石碑を訪ねて福建省邵武市  17日、邵武市和平鎮坪上村で見つかった清代康熙年間の「御茶園」石碑を運ぶ村民。中国福建省南平市邵武(しょうぶ)市和平古鎮の西北部にある山村、坪上村には、2012年に見つかった清朝康熙(こうき)年間の「御茶園」石碑がある。記者はこのほど、石碑の秘密を解くために同村を訪れた。石碑の高さは約1・5メートルで、300文字余りが楷書体で刻まれている。上部の左角は欠けている。碑首には横書きで「竜橋記」と刻まれており、碑文の右端には「観音坑御茶園助銀三十両」、左端には「清康熙己亥五十八年五月十四日」の文字がはっきりと読み取れる。邵武市出身の文化財・古美術鑑定家、趙国進(ちょう・こくしん)さんによると、石碑は橋の建設資金を寄付した人々を称える「功徳碑」で、康熙58(1719)年に村で「竜橋」が建設された際に資金を寄付した人々の所在地や金額、姓名が記されている。(邵武=新華社記者/彭張青)=2019(令和元)年10月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  16. 2019102800636

    「新華社」 清代の「功徳碑」、御茶園石碑を訪ねて福建省邵武市  17日、坪上村に唯一残る廟堂。高久住という元代の人物が祭られている。高久住は元朝の邵武路総監で武夷山御茶園の長官も兼任していた。中国福建省南平市邵武(しょうぶ)市和平古鎮の西北部にある山村、坪上村には、2012年に見つかった清朝康熙(こうき)年間の「御茶園」石碑がある。記者はこのほど、石碑の秘密を解くために同村を訪れた。石碑の高さは約1・5メートルで、300文字余りが楷書体で刻まれている。上部の左角は欠けている。碑首には横書きで「竜橋記」と刻まれており、碑文の右端には「観音坑御茶園助銀三十両」、左端には「清康熙己亥五十八年五月十四日」の文字がはっきりと読み取れる。邵武市出身の文化財・古美術鑑定家、趙国進(ちょう・こくしん)さんによると、石碑は橋の建設資金を寄付した人々を称える「功徳碑」で、康熙58(1719)年に村で「竜橋」が建設された際に資金を寄付した人々の所在地や金額、姓名が記されている。(邵武=新華社記者/彭張青)=2019(令和元)年10月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  17. 2019102800744

    「新華社」 清代の「功徳碑」、御茶園石碑を訪ねて福建省邵武市  17日、竜橋の修繕作業をする坪上村の職人。同村には二つの古い屋根付き橋が残されており、うち一つは地元民から竜橋と呼ばれている。中国福建省南平市邵武(しょうぶ)市和平古鎮の西北部にある山村、坪上村には、2012年に見つかった清朝康熙(こうき)年間の「御茶園」石碑がある。記者はこのほど、石碑の秘密を解くために同村を訪れた。石碑の高さは約1・5メートルで、300文字余りが楷書体で刻まれている。上部の左角は欠けている。碑首には横書きで「竜橋記」と刻まれており、碑文の右端には「観音坑御茶園助銀三十両」、左端には「清康熙己亥五十八年五月十四日」の文字がはっきりと読み取れる。邵武市出身の文化財・古美術鑑定家、趙国進(ちょう・こくしん)さんによると、石碑は橋の建設資金を寄付した人々を称える「功徳碑」で、康熙58(1719)年に村で「竜橋」が建設された際に資金を寄付した人々の所在地や金額、姓名が記されている。(邵武=新華社記者/彭張青)=2019(令和元)年10月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  18. 2019102800728

    「新華社」 清代の「功徳碑」、御茶園石碑を訪ねて福建省邵武市  17日、「御茶園」石碑の碑首に刻まれた「竜橋記」の3文字。中国福建省南平市邵武(しょうぶ)市和平古鎮の西北部にある山村、坪上村には、2012年に見つかった清朝康熙(こうき)年間の「御茶園」石碑がある。記者はこのほど、石碑の秘密を解くために同村を訪れた。石碑の高さは約1・5メートルで、300文字余りが楷書体で刻まれている。上部の左角は欠けている。碑首には横書きで「竜橋記」と刻まれており、碑文の右端には「観音坑御茶園助銀三十両」、左端には「清康熙己亥五十八年五月十四日」の文字がはっきりと読み取れる。邵武市出身の文化財・古美術鑑定家、趙国進(ちょう・こくしん)さんによると、石碑は橋の建設資金を寄付した人々を称える「功徳碑」で、康熙58(1719)年に村で「竜橋」が建設された際に資金を寄付した人々の所在地や金額、姓名が記されている。(邵武=新華社記者/彭張青)=2019(令和元)年10月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  19. 2019102800887

    「新華社」 清代の「功徳碑」、御茶園石碑を訪ねて福建省邵武市  17日、「御茶園」石碑の碑文の右端に残る「観音坑御茶園」の文字。中国福建省南平市邵武(しょうぶ)市和平古鎮の西北部にある山村、坪上村には、2012年に見つかった清朝康熙(こうき)年間の「御茶園」石碑がある。記者はこのほど、石碑の秘密を解くために同村を訪れた。石碑の高さは約1・5メートルで、300文字余りが楷書体で刻まれている。上部の左角は欠けている。碑首には横書きで「竜橋記」と刻まれており、碑文の右端には「観音坑御茶園助銀三十両」、左端には「清康熙己亥五十八年五月十四日」の文字がはっきりと読み取れる。邵武市出身の文化財・古美術鑑定家、趙国進(ちょう・こくしん)さんによると、石碑は橋の建設資金を寄付した人々を称える「功徳碑」で、康熙58(1719)年に村で「竜橋」が建設された際に資金を寄付した人々の所在地や金額、姓名が記されている。(邵武=新華社記者/彭張青)=2019(令和元)年10月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

  20. 2019102800747

    「新華社」 清代の「功徳碑」、御茶園石碑を訪ねて福建省邵武市  17日、「御茶園」石碑の碑文の右端に残る「御茶園」の文字。中国福建省南平市邵武(しょうぶ)市和平古鎮の西北部にある山村、坪上村には、2012年に見つかった清朝康熙(こうき)年間の「御茶園」石碑がある。記者はこのほど、石碑の秘密を解くために同村を訪れた。石碑の高さは約1・5メートルで、300文字余りが楷書体で刻まれている。上部の左角は欠けている。碑首には横書きで「竜橋記」と刻まれており、碑文の右端には「観音坑御茶園助銀三十両」、左端には「清康熙己亥五十八年五月十四日」の文字がはっきりと読み取れる。邵武市出身の文化財・古美術鑑定家、趙国進(ちょう・こくしん)さんによると、石碑は橋の建設資金を寄付した人々を称える「功徳碑」で、康熙58(1719)年に村で「竜橋」が建設された際に資金を寄付した人々の所在地や金額、姓名が記されている。(邵武=新華社記者/彭張青)=2019(令和元)年10月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

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