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  •  「新華社」殷墟で新たな道路遺構を発見洹河北岸の道路網解明進む
    01:15.37
    2022年11月09日
    「新華社」殷墟で新たな道路遺構を発見洹河北岸の道路網解明進む

    中国社会科学院考古研究所の安陽発掘作業所はこのほど、河南省安陽市にある商(殷)代の遺跡、殷墟で大型道路の遺構を発見したと発表した。殷墟の遺跡エリアは中央を流れる洹河(えんが)により南北に分かれるが、遺構は北岸エリアで見つかった。今回の発見により、北岸エリアの道路網は本来の姿を見せ始めた。中国社会科学院考古研究所の研究員で、安陽発掘作業所副所長の何毓霊(か・いくれい)氏は「道路体系はこれまでも都城の発掘調査の重点だった。新発見は3千年余り前の商代後期の都城の全体配置や交通網、機能区分などを探求する上で新たな重要材料になる」と語った。今回発見された道路遺構は東西方向に伸びており、西が低く東が高い。すでに80メートルを発掘したが、両端はさらに発掘エリア外へ伸びている。道幅は最大14メートルで、北側はすべて露出したが、南側は発掘エリア外のため、現代の建築物の下に埋もれている。何氏は出土した道路の状況について「玉砂利や土器片、砕いた骨などが敷き詰められ、長期間踏まれたり、転圧されたりしたことで硬くなっていた。わだちの痕跡も複数見つかり、かなり鮮明に見て取れる」と説明した。今回の発見で、新たな道路遺構とこれまでに出土した東西方向と南北方向の道路遺構各1本が、市街地区画を形成していたことも分かった。何氏は「東西方向に走る2本の道路の間隔は約500メートルで、いずれも南北方向の道路と交差している。道路の両側には住居や墓地、手工業工房などが密集していた」と説明。「このような市街地区画は、殷墟商代都城の集落構造や管理方式、手工業の分業などの研究を深める上での突破口になる」と述べた。殷墟は文献による考証が可能で、甲骨文や発掘調査により存在が実証された最初の商代後期の都城遺跡であり、その都市配置の解明は考古学界にとって常に重点課題だった。洹河南岸エリアではすでに道路の発掘と都市配置の研究が進んでおり、2015年以降は北岸エリアの道路体系の調査と発掘に力が入れられている。(記者/袁月明) =配信日: 2022(令和4)年11月9日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2022110907742

  •  「新華社」「商鞅の変法」の櫟陽城遺跡、初めて一般公開陝西省
    01:33.40
    2019年12月17日
    「新華社」「商鞅の変法」の櫟陽城遺跡、初めて一般公開陝西省

    中国古代の「改革都城」と呼ばれ、「商鞅の変法」が行われたことで有名な秦の都、櫟陽(れきよう)城遺跡の発掘現場がこのほど、初めて一般公開され、大勢の市民が見学に訪れた。同遺跡は西安市閻良(えんりょう)区にあり、第5次全国重点文物保護単位(国の重要文化財)に指定されている。文献の記載によると、秦は献公2年(紀元前383年)に雍城(ようじょう)から櫟陽への遷都を行った。研究者は遺跡エリアですでに三つの都市遺跡を発見しており、そのうち、第3遺跡は秦の櫟陽宮遺跡であり、同遺跡エリアでは最も古い都城でもあることが確認された。第3遺跡からは2千年余り前の壁炉、かまど、浴室が発見された。そのうち浴室はこれまで中国で発見された最も古く、また最もまとまって発見された古代人の浴室施設でもある。(記者/李華)<映像内容>一般公開された櫟陽城遺跡の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019121702471

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