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  •  「新華社」デジタル技術で5千年前の遺跡を再現甘粛省
    01:33.52
    2024年02月27日
    「新華社」デジタル技術で5千年前の遺跡を再現甘粛省

    中国甘粛省蘭州市で、技術者らが約5千年前の大規模集落跡の南佐遺跡をデジタル技術で復元した。展示室で横たわる欠けた陶製人形がデジタルの力で元の姿を取り戻し、音楽に合わせて祭祀(さいし)舞踊を披露。VR(仮想現実)ゴーグルの画面には当時の人々が火を使って食事を作り、土器を焼く様子が映し出される。デジタル化を手がけた同市の企業、絲綢之路信息港の王昱鷗(おう・いくおう)スマートデジタル再構築プロジェクト部経理(マネジャー)によると、技術チームは発掘報告書や専門家の見解に基づき陶製人形の元の姿を推測し、人物の特徴を捉えて復元したという。南佐遺跡は同省慶陽市西峰区董志塬(とうしげん)にあり、1950年代末に発見された。約5千年前の仰韶(ぎょうしょう)文化後期から廟底溝(びょうていこう)第2期文化にかけての大規模集落遺跡で、高位者が居住していたと見られる。既存の考古資料によると、遺跡の外環壕内の面積は約600万平方メートルで、当時最大規模の集落だったことを裏付けている。大型宮殿式建築の面積は800平方メートルで、うち室内部分は630平方メートルに及ぶ。王氏は「大型遺跡を復元するには多くの実地調査と綿密な考証が必要」と指摘。技術チームは史料の考証を終えると実地調査を行い、気候環境や地理環境など重要な情報を入手したと説明した。実地調査では「北斗」衛星測位システムによる高精度な位置測定やパノラマカメラによる情報収集、ドローンによる傾め撮影を実施し、復元作業に必要な遺跡と周辺環境の情報を多次元的に収集。史料や写真、映像などの整理と分析、変換のほか、パラメーター化した古建築部材や歴史的情景と連携可能な多元的パラメーター情報ベースを構築し、復元した文化遺産のパノラマ展示を実現した。バーチャル画面は二つの陶製人形の物語を中心に、当時の人々の生産生活や祭祀の場面を一つ一つ再現。約5千年前の黄土高原の自然景観や大殿の内部構造も鮮やかによみがえらせた。ここ数年は歴史文化遺産の復元や再現にもデジタル化が頻繁に用いられるようになった。王氏のチームも2019年以降、甘粛省内の八角城や大順城などの歴史文化遺産を復元している。王氏は今後の方向性として、デジタル文化財に歴史の空間と時間など多次元的情報パラメーターを埋め込み、歴史遺跡の特定の時期の姿を忠実に再現していく考えを示した。(記者/梁軍) =配信日: 2024(令和6)年2月27日、クレジット...

    商品コード: 2024022708092

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    00:57.58
    2023年11月03日
    「新華社」マナス古城遺跡の探査が本格化新疆ウイグル自治区

    中国新疆ウイグル自治区でこのほど、唐~元代の都市遺跡とされるマナス古城遺跡の探査が本格的に開始された。文化遺産としての価値を十分に掘り起こし、シルクロードの東西文化交流、多民族統一局面の形成と発展プロセスなどの問題に関する考察と研究を促進する。古城は昌吉回族自治州瑪納斯(マナス)県瑪納斯鎮楼南村の北東に位置し、県城(県政府所在地)から3・5キロ離れている。平面プランは長方形で、南北が620メートル、東西が520メートル。22万平方メートルの探査エリアでは、先進的な測量機器を用いて地表の遺跡の三次元可視化処理を実施し、遺跡の造営環境や構造・配置、周辺と内部の遺構分布状況をより正確に把握する。これまでの調査とリモートセンシング画像では、城内中央部のやや北側に建築跡と思われる遺構が確認されている。城外には幅15メートルほどの護城河(堀)があり、城の南東隅から150メートルの場所には直径約10メートル、高さ約5メートルののろし台遺跡が残る。最近実施された考古学調査では、城内の地層に少なくとも二つの文化層が含まれていることが分り、古城が複数の王朝にわたり用いられた可能性が推測されている。場内で収集された遺物、特に唐代の陶片や銅銭「開元通宝」の破片などから、築城年代は唐代と判断され、宋元時代のゾウの陶製塑像や星形の瑠璃磚(るりせん)も見つかっていることから、西遼または元代まで使われていた可能性があるとしている。(記者/丁磊) =配信日: 2023(令和5)年11月3日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023110306966

  •  「新華社」陝西省北部で3200年前の商代大型集落跡を発見
    01:21.83
    2023年06月08日
    「新華社」陝西省北部で3200年前の商代大型集落跡を発見

    中国陝西省考古研究院は5月30日、省北部の楡林市清澗(せいかん)県で約3200年前の商(殷)代の大型集落跡を発見したと発表した。集落跡は寨溝遺跡と名付けられた。遺跡がある解家溝鎮寨溝村は同省北部の黄土高原の中心部に位置する。同研究院が2022年に発掘調査を開始し、これまでに大面積の版築(はんちく、土を幾層にも突き固める工法)建造物や大型墓葬、小型墓地、灰坑、陶範(陶製鋳型)など異なる機能を持つ遺構を発見した。遺跡面積は約300万平方メートルに上った。同研究院の孫戦偉(そん・せんい)副研究員によると、遺構は11の丘陵に点在しており、大規模で多くの遺構を持つ、各要素のそろった集落遺跡だという。発見された9カ所の高位貴族墓地の3カ所では計7基の大型「甲」字形墓が確認された。墓から出土した大量の青銅車馬器や玉器、骨器、漆器、亀甲は、商王朝後期の都城跡とされる殷墟(いんきょ)の上層階級の物質文化と共通性がみられ、黄土丘陵地域と商王朝との間で密接な経済・文化交流があったことや、商王朝が周辺地域に大きな影響力を及ぼしていたことを反映している。孫氏は遺跡について、晋陝(山西・陝西両省)高原でこれまでに発見された商代の遺跡の中で最も規模が大きく、遺構も豊富で、中原(黄河中下流の平原地帯)の商文明と同時期に存在していた地方政体の中では珍しいと指摘。商代末期の陝西省北部に高度に発達した青銅文明が存在し、中原の殷墟文化と緊密なつながりを持っていたことを示していると説明した。今回の発見については、商代考古学の重要発見であり、陝西省北部に存在した商代の方国(地方政権)の政治的・地理的構造を探求し、殷墟時期(商王朝後期)の中原と辺境の相互交流を理解する上で重要な意義を持つと語った。(記者/楊一苗) =配信日: 2023(令和5)年6月8日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023060805930

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    01:06.92
    2023年03月10日
    「新華社」千年の少数民族陶器「黎陶」、女性の就業後押し海南省

    中国海南省の少数民族、リー族(黎族)の陶器「黎陶」は、千年の間受け継がれてきた伝統工芸で、昔ながらの技法をとどめることから中国の原始的製陶技術の「生きた化石」と呼ばれる。2006年の第1次国家級無形文化遺産リストにも登録されている。同省昌江リー族自治県保突村出身の劉梅珍(りゅう・ばいちん)さんは、幼い頃から母親の陶器作りを見て育った。自宅で使う鍋や急須などはすべて陶製で、黎陶は日々の暮らしに溶け込んでいた。23歳になると村を出て都会へ行き、幾つかの仕事に就いたが、リー族文化へのこだわりを捨てることができず、2010年から海南各地を回り、黎陶と現代陶器の製陶技術を学んだ。2013年には村のリー族の若い女性6人と「昌江保突黎陶製品専業合作社(協同組合)」を設立。地元女性を集めて陶器を製造、販売し、無形文化遺産の保護と継承に努めたほか、リー族女性の就業問題も解決した。地元政府も15年に製陶伝習所と製陶館を建設し、設備も購入した。劉さんも各種の試みを増やし、ここ数年は製陶館を製陶館文化園に改造するなど、探究型学習などの観光要素を取り入れることに努めている。合作社には現在、50人の社員がおり、8割以上をリー族女性が占める。これまでに100人を超える雇用を生み出し、1人当たりの年収も約8千元(1元=約20円)増加した。李さんの歩みは止まることがない。大きな抱負も持ち「将来は『黎陶村』を作りたい。農村振興や観光を組み合わせることで多く人に村に来てもらい、リー族の生活と文化を味わってほしい」と語った。(記者/陳子薇) =配信日: 2023(令和5)年3月10日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2023031012371

  •  「新華社」唐~遼代の女真族集落遺跡を発見黒竜江省で初
    01:01.38
    2022年08月17日
    「新華社」唐~遼代の女真族集落遺跡を発見黒竜江省で初

    中国黒竜江省ハルビン市方正県の関係部門は13日、同省の文化財部門が同県で発見した望江楼東北遺跡が唐から遼代にかけての女真族の集落遺跡だったと発表した。女真族はツングース系の民族で中国東北部に居住し、12世紀に金王朝、17世紀には満州族として清王朝を建国した。黒竜江省で唐~遼代の女真族集落遺跡が見つかったのは初めて。遺跡は、方正県天門郷沿江村望江楼屯の北東約500メートルに位置する緩やかな尾根の上にある。松花江本流の右岸からは約200メートル離れており、面積は約3千平方メートル。高速道路建設に伴い2021年11月に実施された埋蔵物調査で存在が確認され、当初は遼~金代の住居跡と判断された。黒竜江省文物考古研究所が22年7月上旬に緊急発掘調査を開始し、これまでに約300平方メートルを発掘。住居跡2カ所、灰坑26カ所、灰溝2カ所、窯跡1カ所、環壕1本を発見し、陶器や陶網墜(陶製の漁網の重り)、陶紡輪(陶製の紡錘車)、錐形骨器、鉄刀、石斧、砥石などの遺物標本200点余りが出土した。考古学スタッフによると、遺跡は遺構や遺物の特徴から、唐~遼代の女真人の大型集落跡と推定される。同地域の女真族の歴史と文化、生産生活、集落形態、生態環境などの研究を深める上で貴重な実物資料になるという。(記者/楊思琪) =配信日: 2022(令和4)年8月17日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2022081706141

  •  「新華社」4500年前の暮らし生き生きと成都市で宝墩遺跡展が開幕
    00:47.93
    2022年01月23日
    「新華社」4500年前の暮らし生き生きと成都市で宝墩遺跡展が開幕

    中国四川省成都市新津(しんしん)区の宝墩(ほうとん)遺址展館で21日、「宝墩遺跡と宝墩文化展」が開幕した。同展は貴重な文化財を通じて4500年前の長江上流地域で暮らしていた人々の生活を生き生きと再現している。1995年に発見された宝墩古城遺跡は、長江上流地域でこれまで発見された中で、最も時代が古く、最大の面積を持つ新石器時代の都市遺跡として知られる。宝墩古城を代表とする宝墩文化は、多元一体の中華文明の重要な構成部分と考えられている。同古城は成都平原の稲作文明発祥の地でもあり、三星堆文明の起源を研究する上での重要な手がかりにもなっている。同展は宝墩期の文化財やマルチメディア展示を通じて、「竹の骨組みと土壁」を持つ建物に住み、精巧に作られた陶鍋や陶製かまどを使い、米やブドウなどを食べ、豚などの家畜を飼い始めた4500年前の人々の生活を再現している。展示品の中には、4千年以上前の長さ約1・04メートルの象牙の杖や、象牙製の牌飾(はいしょく、装飾品)なども含まれている。(記者/楊華、童芳) =配信日: 2022(令和4)年1月23日、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2022012313762

  •  「新華社」郷愁誘うミニチュア民家貴州省安順市
    00:59.24
    2020年10月06日
    「新華社」郷愁誘うミニチュア民家貴州省安順市

    中国貴州省安順市平壩区白雲鎮の平元村に住む黄簡松(こう・かんしょう)さんは、絵や古物が好きな1990年代生まれの青年。明代に反乱鎮圧で貴州に赴いた漢族将兵の末裔が築いた「屯堡文化」が色濃く残る地で暮らし、粘土を使って福建土楼や安徽省の伝統建築様式「徽派建築」など中国各地の民家の陶製ミニチュアを制作している。ミニチュア民家は、粘土選びから成型、彫刻、着色、焼成など一連の工程を経て完成する。(記者/楊焱彬、周宣妮)<映像内容>ミニチュア民家の制作の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020100705823

  •  「新華社」7300年前の謎を秘めた双墩遺跡安徽省蚌埠市
    01:47.97
    2020年06月19日
    「新華社」7300年前の謎を秘めた双墩遺跡安徽省蚌埠市

    文字の起源はどのようなものだったのか。中国安徽省蚌埠(ほうふ)市の双墩(そうとん)村に行けば、その答えが見つかるかもしれない。1986年、同村で今から約7千年前の土器600点余りが出土した。土器には神秘的な記号が刻まれており、学術界では中国における文字の重要な起源の一つと見なされている。これらの記号は多種多様で、既知のものだけでも動物や水、建物などの写実的な描写から、イノシシ狩りや魚捕り、植物栽培など生産や生活に関する描写、記録などに使われた幾何学的記号などがある。全ての記号は土器の底や見えにくい部分に刻まれている。双墩遺跡は現在の面積が1万2千平方メートルで、淮河中流域で発見された最も古い新石器時代の文化遺跡とされる。神秘的な記号のほか、陶製の人頭像も注目を集めている。約6・5センチ四方の人頭像の顔には点を連ねたような模様があり、額には太陽の模様が見られる。この人頭像は、中国で最も古い陶製人物像の一つとして知られている。(記者/白斌、汪海月、朱青)<映像内容>双墩遺跡で出土された土器の展示、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020062508324

  •  「新華社」7千年前の「微笑み」に出会う中国最古級の人物彫刻を訪ねて安徽省
    00:21.42
    2020年06月08日
    「新華社」7千年前の「微笑み」に出会う中国最古級の人物彫刻を訪ねて安徽省

    中国安徽省の蚌埠(ほうふ)市博物館は、同省を流れる淮河(わいが)の岸辺に建つ博物館。7300年の時を超えて、市内の双墩(そうとん)遺跡から出土した約6・5センチ四方の子どもの手のひらほどの大きさの「陶塑紋面人頭像」(入れ墨のような模様のある陶製の人頭像)が、同博物館で神秘的な微笑みをたたえている。この像は、中国で知られる最古の陶製人物像の一つとされる。双墩遺跡は同市淮上区双墩村にあり、1985年に発見された。遺跡では今から約7千年前の記号が彫られた古い土器600個余りが出土し、中国初期の文字の起源を探る上で重要な資料となっている。人頭像は1986年に実施された試掘調査で出土し、放射性炭素年代測定の結果、今から7300年前の文物であることが判明。国家一級文化財に指定され、同博物館の「鎮館の宝」(大博物館の宝)となった。同博物館の季永(き・えい)館長は、「人頭像の考古学における学名は『新石器時代陶塑彫題紋面人頭像』で、精巧な芸術作品であるとともに、これまで中国で発見された最古の人物彫刻の一つでもあり、非常に重要な歴史的価値を持つ」と述べている。(記者/朱青)<映像内容>中国で最古の陶製人物像の一つとされる「陶塑紋面人頭像」、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020061102977

  •  「新華社」河北省邯鄲市で漢代の陶俑2体発見
    01:00.47
    2020年03月23日
    「新華社」河北省邯鄲市で漢代の陶俑2体発見

    中国河北省邯鄲市邯山区王家湾村の住民がこのほど、自宅の畑で野菜を植えていた時に、人間の形を模して作られた陶俑2体を掘り出した。専門家による鑑定の結果、漢代の葬儀風習に使われた品か副葬品と見られ、約2千年前のものと判明した。1体は男侍俑(じよう)で、高さ約27センチ、幅約10・5センチ、厚さ約7センチ。もう1体は女侍俑で、高さ29センチ、幅約10・5センチ、厚さ約8・5センチとなっている。また、陶製の馬車輪などの文化財も発掘された。漢代の葬儀風習からみると、これらは経済的に余裕のある家庭や貴族の家庭の死者に対する副葬品だと考えられ、漢代葬儀制度の文化研究に一定の価値を持つ。(記者/岳文婷)<映像内容>漢代の2体の陶俑、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020032425942

  •  「新華社」皇帝に関わる建造物か青島で秦漢時代の排水遺構が出土
    01:40.43
    2019年12月25日
    「新華社」皇帝に関わる建造物か青島で秦漢時代の排水遺構が出土

    中国山東省青島市の琅琊台遺跡の考古発掘調査でこのほど、新たな進展がみられ、遺跡の山頂部分から2千年以上前の秦漢時代の大型版築(はんちく)土台や排水遺構、建物基礎が見つかった。広大な規模と緻密な建設技術は、同地に当時、格式の高い大型古代建築が存在していたことを示唆している。山東省文物考古研究院と青島市文物保護考古研究所の合同調査チームは10月末、国家文物局の許可を得て、琅琊台遺跡の発掘調査を正式に開始した。遺跡は西海岸新区琅琊鎮にあり、山頂部分の版築土台(大台)と海辺の版築土台(小台)の2カ所からなる。発掘調査は秦漢時代の琅琊文化の解明を主眼に実施された。頂上部の第1発掘地点では、3本の整った陶製配管が整然と並ぶ様子が見て取れた。配管は太く厚みがあり、両端の口径を変えることで連結できるようになっている。現代の排水管によく似ている。第1発掘地点からそれほど遠くない場所にある第2発掘地点では、秦漢時代の石造りの床に開けられた排水口が見つかった。くぼみを作るように敷かれた六つの大小異なる石の中心部の石に四角形の小さな穴が開けられている。穴の形状と精密な作りから室内排水用だと暫定的に判断された。秦漢時代の政治の中心は陝西省一帯であり、琅琊台は山東地域でも数少ない同時代の皇帝巡幸に関わる遺跡とされる。文献には秦の始皇帝や漢の皇帝が琅琊台に巡幸したと記されており、今回の発掘調査を見ても、この場所にかつて皇帝と直接関わりのある格式の高い皇室建造物が存在していた可能性は排除できない。果たしてどのような皇室建造物だったのか。考古学界の見解は現時点で一致していない。ある者はきらびやかな行宮だったといい、ある者は始皇帝が建てた祭祀台だったと推測する。琅琊台の発掘調査がさらに進展すれば、始皇帝が何故同地を3度も巡幸したかという千年の歴史の謎も明らかにされるかもしれない。(記者/李紫恒)<映像内容>琅琊台遺跡の考古発掘調査、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020012322933

  •  「新華社」河北省邢台市で唐代の胡人俑見つかる
    01:04.04
    2019年12月20日
    「新華社」河北省邢台市で唐代の胡人俑見つかる

    中国河北省邢台(けいだい)市南和県の文化財保護部門はこのほど、同県河郭郷の趙牌村の工事現場で白陶製の胡人俑3体が発見されたと明らかにした。鑑定の結果、3体とも唐代初期のもので、文官と武士、商人の俑であることが判明した。同県の文学、史学専門家の肖忠懐(しょう・ちゅうかい)氏は、3体とも死者と共に埋蔵された副葬品で、唐代の葬儀や風俗に基づくと、3体が見つかった墓は官吏のものだった可能性が高いと指摘。今回の発見は、当時の社会経済の発展やシルクロードでの対外交流、葬儀風俗に関する研究の際に歴史的な参考価値を持つと語った。工事現場では現在、緊急発掘調査が進められている。(記者/杜一方、曹国廠)<映像内容>工事現場で見つかった唐代の胡人俑、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2020012322962

  •  「新華社」南京博物院の秘蔵品を紹介-灰陶九枝灯
    00:55.23
    2019年11月18日
    「新華社」南京博物院の秘蔵品を紹介-灰陶九枝灯

    中国江蘇省の南京博物院が所蔵する灰陶九枝灯は、後漢時代の陶製ランプで、木のような形をしていて装飾が施されている。台座は盆をひっくり返した形状をしており、中心から灯柱が伸びている。柱には三段に別れて枝が三つずつ生えていて、枝の先端は上段が羊頭、中段が竜頭、下段が虎頭になっている。油皿はそれぞれの動物の頭の上に載っており、取り外しができるようになっている。枝が9本あることから「九枝灯」と呼ばれる。民間で用いられた照明器具だが、無駄のない洗練された造形と優美で滑らかな曲線美を持ち、実用性と鑑賞性を兼ね備えている。(記者/劉宇軒)<映像内容>南京博物院の秘蔵品、灰陶九枝灯、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019112003855

  •  「新華社」南京博物院で「豚の文化財」展豊かで幸せな新年願う
    02:58.24
    2019年01月22日
    「新華社」南京博物院で「豚の文化財」展豊かで幸せな新年願う

    旧暦の亥年(中国では「亥」は豚を意味する)の到来を前に、干支にちなんだ「富貴豚-南京博物院所蔵の豚の文化財展」が5日から、中国江蘇省の南京博物院で開かれている。豚に関する文化財や美術品が100点余り展示され、来場者は一足先に春節(旧正月)ムードを堪能している。博物院3階の12号展示室には、6千年前から現代までの陶製の像や磁器、玉器、書画、郵便切手などの品が数多く展示され、来場者の目を楽しませている。新石器時代の豚型の陶製貯蔵器や六朝時代の玉猪握(死者の両手に握らせた副葬品の玉器)、西晋時代の豚小屋を模した青磁器、2019年に新しく発行された豚をモチーフにした郵便切手など、頭と口を上げて目を見開いたものや、口をすぼめて鼻を上げたもの、目を細めて笑っているものなど、それぞれの展示品にはいろいろな表情の豚が生き生きとデザインされている。豚には丸い体や無邪気なかわいらしさ、おとなしさなど、人々に愛される特徴がある他、真面目で素直、裕福で縁起がいいという文化的な意味もある。干支展は南京博物院の特色ある展覧会として、これまで11年連続で開催されている。同博物院では今回、専門のスタッフに依頼して倉庫から豚に関連する各種文化財を探し出し、集約、整理し、展覧会をレイアウトした。同博物院は、中華民族の伝統である干支文化の魅力を反映した亥年の展覧会が「富貴豊年」(豊かで収穫の多い年)の展望を示し、来場者に幸運と喜びをもたらすことを願っている。(記者/呉新生、林凱)<映像内容>中国、干支の「豚の文化財」展示の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019012202065

  •  「新華社」石峁遺跡:現代人の想像を超える4千年前の出土品
    02:55.36
    2018年12月27日
    「新華社」石峁遺跡:現代人の想像を超える4千年前の出土品

    中国陝西省楡林(ゆりん)市神木(楡林市の管轄下にある県級市)高家堡鎮石峁村にある石峁(シーマオ)遺跡は総面積400万平方メートルを超え、北京の故宮の約5倍に相当する。この4千年余り前の神秘的な都市遺跡で、2011年から考古学研究者による全面的な発掘調査が始まっている。精緻な造形美を誇る玉器、今にも動き出しそうな陶製の鷹、それぞれ異なった表情を持つ石に彫られた人の顔、今でも吹き鳴らせる口琴、4千年以上を経た骨笛。現代の芸術品にも劣らない精巧な美しさを持つこれら太古の文化財は、どれも石峁遺跡から出土したものだ。大量に出土した文化財は、石峁という有史以前の都市の巨大な規模だけでなく、都市が豊かに繁栄していたことも示している。さらに意外なことに、石峁遺跡からは陝西省北部には明らかに生息していない、千里の彼方でしか見つからないはずのヨウスコウワニの皮骨板やダチョウの卵殻、南中国海の貝、水晶製品、アジア象の象牙製品などが出土している。これは当時の石峁人が盛んに交流していたことを証明するものと考えられている。これまでに発掘された出土品からは、この先史時代の神秘的な都市の支配者が特定できていない。このことがまた、陝北高原に位置する石積みの城郭都市の神秘性をさらに高めている。(記者/孫正好、李亜楠、梁愛平)<映像内容>石峁遺跡の発掘の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2019010400136

  •  「新華社」河北省臨西県で金代の陶製墓誌銘発見王朝交代の戦火を生きた庶民の姿を記録
    03:02.99
    2018年12月07日
    「新華社」河北省臨西県で金代の陶製墓誌銘発見王朝交代の戦火を生きた庶民の姿を記録

    中国河北省邢台市臨西県の揺鞍鎮郷でこのほど、一軒の農家から中国の金王朝(1115年~1234年)時代の墓誌銘が完全な状態で見つかった。地元の歴史文化研究者が発見した。墓誌銘は長さ70センチ、幅37センチの長方形で厚さは9・5センチ。陶製で表面はきめ細かく、つやがあり、叩くと音がする。上方に篆書体で「金故郭公墓銘」の6文字が大きく刻まれており、銘文は楷書体で720文字刻まれている。「金代大定二十年」(1180年)に作られたもので、830年余りの歴史を持つ。墓誌銘には墓の主・郭琮(かく・そう)の家族構成が記載され、彼が一族のもめごとを処理するにあたり「役所に訴えようとしたが、義を損なうことを恐れ耐え忍んだ」という逸話を紹介し、その温和で善良な人柄や喜んで人を助け、見返りを求めない美徳を称賛している。銘文には、北宋の靖康(せいこう)年間(1126~1127年)に郭琮と父親が金軍との戦いに従軍し、自身が重傷を負って戻ったことや、父親が故郷からそう遠くない場所で戦死したいきさつが特に詳細に書かれている。知らせを受けた家族、墓主の妻・劉氏が命の危険を顧みず、父親の遺体を背負って郷里に戻り埋葬したことについては「いにしえの親孝行の嫁といえども滅多に聞く話ではなく、これも(郭)公の義挙の致すところでは?」「郷里で一番の善行と称えられる」などの記載が見られ、郭琮が孝道により家を治めたすぐれた家風を褒め称えている。(記者/張碩)<映像内容>金代の陶製墓誌銘発見の様子、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ

    商品コード: 2018121020807

  •  亥年ウイスキーをお披露目 サントリー、生産大詰め
    03:32.31
    2018年10月22日
    亥年ウイスキーをお披露目 サントリー、生産大詰め

    サントリースピリッツ(東京)は22日、来年のえとのイノシシをかたどった陶製ボトル入りウイスキーの製造ラインを報道陣に公開した。山崎蒸溜所(大阪府島本町)での生産は大詰めを迎えており、11月6日から数量限定で販売する。製造しているのは「サントリーウイスキーローヤル〈亥歳(いのししどし)〉ボトル」。岐阜県の美濃焼に松竹梅の模様をあしらった。この日は、約20人の作業員がベルトコンベヤー上の約500本の製品を点検。封紙を貼るなどして仕上げ、化粧箱に詰めた。 〈映像内容〉「サントリーウイスキーローヤル〈亥歳(いのししどし)〉ボトル」の製造の仕上げ工程、サントリースピリッツの担当者のインタビュー、山崎蒸溜所の外観、撮影日:2018(平成30)年10月22日、撮影場所:大阪府島本町 山崎蒸溜所

    商品コード: 2018102300072

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