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中国山西省呂梁市交城県にある呂梁山の深山幽谷に、中国の浄土宗の歴史で輝かしい地位を占める玄中寺がある。1500年以上の歴史を持ち、現存する古建築は明清時代のものとされる。全国重点文物保護単位にも指定されている。同寺は曇鸞(どんらん)、道綽(どうしゃく)、善導(ぜんどう)の3人の祖師(一宗一派の開祖)を輩出した浄土宗の祖庭(発祥の地)として、中日両国の浄土宗徒の信仰も厚い。中国人民大学教授で浄土文化研究センター主任の温金玉(おん・きんぎょく)氏は「おおまかな統計によると、1980~88年の間だけでも日本の各友好団体による玄中寺参詣・訪問は330回に上る」と語った。東京にある運行寺の住職を務めていた菅原恵慶氏は1940年代、玄中寺からナツメの実を持ち帰り自身の寺の境内に植え、寺の名も「なつめ寺」に変えた。菅原氏は新中国成立間もない頃、周恩来総理に手紙を送り、玄中寺修復の提案をしている。1956年10月に寺の修復が完了すると、翌年9月に日本仏教親善使節団が訪中し、玄中寺の僧侶らと共に落慶法要を行った。使節団の一員として参列した菅原氏は、ナツメの木で作った禅杖(ぜんじょう)を持参した。杖は同氏がかつて玄中寺から持ち帰ったナツメの実から育った木で作られており、杖身に「日中一心、万善同帰」の8文字が刻まれていた。菅原氏は日本の主要な浄土宗寺院が制作した三祖師図も携えてきた。禅杖と三祖師図は今も玄中寺の祖師殿に祭られている。<映像内容>玄中寺の空撮、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ
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登録日時: 2020年05月05日 00:00:00
「新華社」浄土宗の古刹が見守ってきた中日民間交流の絆山西省玄中寺
中国山西省呂梁市交城県にある呂梁山の深山幽谷に、中国の浄土宗の歴史で輝かしい地位を占める玄中寺がある。1500年以上の歴史を持ち、現存する古建築は明清時代のものとされる。全国重点文物保護単位にも指定されている。同寺は曇鸞(どんらん)、道綽(どうしゃく)、善導(ぜんどう)の3人の祖師(一宗一派の開祖)を輩出した浄土宗の祖庭(発祥の地)として、中日両国の浄土宗徒の信仰も厚い。中国人民大学教授で浄土文化研究センター主任の温金玉(おん・きんぎょく)氏は「おおまかな統計によると、1980~88年の間だけでも日本の各友好団体による玄中寺参詣・訪問は330回に上る」と語った。東京にある運行寺の住職を務めていた菅原恵慶氏は1940年代、玄中寺からナツメの実を持ち帰り自身の寺の境内に植え、寺の名も「なつめ寺」に変えた。菅原氏は新中国成立間もない頃、周恩来総理に手紙を送り、玄中寺修復の提案をしている。1956年10月に寺の修復が完了すると、翌年9月に日本仏教親善使節団が訪中し、玄中寺の僧侶らと共に落慶法要を行った。使節団の一員として参列した菅原氏は、ナツメの木で作った禅杖(ぜんじょう)を持参した。杖は同氏がかつて玄中寺から持ち帰ったナツメの実から育った木で作られており、杖身に「日中一心、万善同帰」の8文字が刻まれていた。菅原氏は日本の主要な浄土宗寺院が制作した三祖師図も携えてきた。禅杖と三祖師図は今も玄中寺の祖師殿に祭られている。<映像内容>玄中寺の空撮、撮影日:撮影日不明、クレジット:新華社/共同通信イメージズ WEB不可
- 撮影:
- 提供元: 新華社
- データ詳細: FullHD / 50fps
- 商品コード: 2020051402606